×

『とんでもなく役に立つ数学』 西成活裕 【読書感想・備忘録】

2022/08/11

目次 [隠す]

記事画像

読むキッカケ

趣味のプログラミングで高度なことがやりたくなり数学の壁にぶちあたる。

アラフォー初心者だけどスマホアプリを開発~リリースまでがんばってみた【Android・Xamarin.Forms】 | neputa note

この度、素人ながらスマホアプリ開発に挑戦してみました。今回の記事では概要と経緯について書き綴ってみたいと思います。実際に行った作業の詳細は、今後それぞれ記事を書き、こちらにリンクを追記します。作っ

blog card

学生時代の不勉強を後悔することは大人のあるある。

正直に告白すると、私はかなりの数学アレルギー持ち。

いちから数学と向き合おうと決めたのだが、テキストに伸ばす手の重さと言ったらない。

「まずは数学を学ぶモチベをあげよう!」と、本書を手にとってみたのだが……。

『とんでもなく役に立つ数学』の概要

その問題、数学で乗り越えられます! 「渋滞学」で有名な東大教授が、私たちの生活をよりよくする「生きた数学」を、高校生に本気で語る。経済予測にまどわされないコツ、東京マラソンで3万人をスムーズにスタートさせる方法、人生の選択に役立つグラフ――受験のときにきざみこまれた苦手意識や、公式の丸暗記など、形式ばったイメージも一新。教科書からリアルな世界へ。使えて楽しい、数学の新たな魅力を届けます。
――本書より引用

とあるように、「渋滞学」でメディア出演もある西成教授による高校生に向けて行われた「数学の魅力」に関する講義を収録した一冊。

日本の渋滞、どうやったら解消できる?アリに学ぶ「渋滞学」 | 酒井真弓のDX最前線 | ダイヤモンド・オンライン

日本の道路は渋滞に満ちあふれている。渋滞の解消は、人間社会における重要な課題と言っても過言ではない。渋滞をなくす方法はないのだろうか?「アリの行列は渋滞しない」という事実に着想を得た渋滞解消法を提唱す

blog card

感想と備忘録

数学アレルギーの原因

上記概要のとおり、本書の目的は、数学を学習することではなく、「数学の魅力」について知ること。

授業冒頭、西成教授が数学の魅力に取りつかれた子供時代の話しから多くの謎が解けることとなった。

現在、西成教授はあらゆる事象を解き明かす「武器」あるいは「道具」として数学を用いている。

子どものころは先生の言うことやルールに素直に従うことがなかったそうだ。

勉強も好きなように好きなものを学ぶと早くから決めていたとのこと。

先生だからといって、すべてを知っているわけではないということに驚いたし、わからないことをそのまま覚えるなんて納得できなかった。このとき私は、学校の勉強とは独立して、自分で自分のやりたいように勉強しようと心に決めたのです。
――本書18ページより引用

そんな少年が数学にハマりこんでいく。

これは想像だが、「数学は授業という形式で学ぶには不向きな学問である」、というひとつの証左ではないか。

おそらく、西成少年が数学を授業というチャンネル以外の接点を見出していなかったらどうなっただろう。

持ち前の反発心や頑固さが幸いし、数学を自ら学習したことにより、数学の本質的な魅力に早くから気づくことができたのではないだろうか。

つまり、私を含む大勢いるだろう数学アレルギーの原因は、「授業」という形式で数学を浴びたことによる、と私は断言(言い訳)したい。

私たちの暮らしと地続きの数学

西成教授は生徒たちとの質疑を通して私たちの生活の身近なところに数学があることを伝えていく。

「可能性」という言葉で私たちが頻繁に用いる概念も、つまりは数学の「確率」のこと。

私などは感覚的に可能性を案じるが、「確率」を用いるとぼんやりとした視界が一気にクリアになる。

迷いの多い人生だが、もう少し力強く歩んでいけるような気になるから不思議だ。

そして授業で耳にすると一気に鳥肌が立つこと受け合い「微分」と「積分」。

これらも数式や理論よりもまず、身近にある現象・事象に置き換えて説明がなされる。

これはスローモーションの映像の例えから。

時間をゆっくり動かし、ほんのちょっとの変化を取り出して、それを気長に細かく分け、変化に関係している要因を割り出すのが微分。そして、その、ほんのちょっとの変化、前のコマと次のコマとの差を、気長に積み重ねていくのが積分です。
――本書70ページより引用

これを用いることで自然界における様々な現象を解析し、予測へとつなげることができる。

人工衛星が宇宙に行って帰ってこれるのもその一つ。

その他、人間関係のトラブルや集団行動と絡めた「ゲーム理論」、津波警報の計算は「ソリトン理論」による、渋滞を解析する「セルオートマン」などなど、数学理論を身近なコトに結びつけて語られる。抵抗感なく耳を傾けることができる。

数学が社会に届くまでの道のり

これは大枠について。「数学」という学問とリアルな世界とがどのように呼応しているかの話し。これは遠くにある(と私が感じている)数学と、私たちの生活空間との関係性を話してくれている。

また数学に関連する分野である「物理」や「工学」の関係性や違いについてスッキリとした理解を得ることができる。

山から小さな湧水が、だんだん集まって大きな川になり、それが最後海に流れ込むよね。数学は、まさに最上流に位置する湧水のようなものです。
――本書120ページより引用

なるほど。

その湧水をいろいろな要素と結びつけて、より現実的に育てていくものが物理で、さらに実際の応用を意識した研究が工学。それが社会に流れていき、私たちの社会にたどりつくのです。
海に流れた水は蒸発して大気中に出ていき、雨になって山に戻ってきますが、このような大循環は、数学と社会の呼応にもあてはまります。
――本書120ページより引用

私たちの生活を便利にしたり命を救ったり安全を守ったりする実社会のおおもとには数学→物理→工学の流れがあり循環しているのだ。

そしてその源泉は「数学」。

つまり数学の進化なくして実社会の発展はないと言っても言い過ぎではないのでは。

ふと思ったけど、研究開発費が現象まっしぐらの日本は大丈夫なのでしょうかね???

社会問題を数学で解決する

西成教授の代名詞ともいえる「渋滞学」についても多く語られている。

これまで何度かメディアで説明を見聞きしたことがあったが、分かったような分かっていなかった私。

科学の対象となりにくい人間の行動をいくつもの数学理論を用いて挑むわけで話はたいへん難しくなるはず。

それが、「数学に苦手意識を持つ学生に向けた話し」という難易度で読むことができるのだからありがたい。

まず渋滞とはどういった現象であるかを物理学を用いて解析し、渋滞の事象をセルオートマンで表現する。

計算を重ね「渋滞吸収車」という解を導き出す。

読んでいてワクワクする。

最後は学生とともに、3万人が参加する東京マラソンのスタートをいかにスムーズにできるかに挑む。

これは、ガッツリ数式を使って解決を試みており、私は完全に置いてけぼりとなってしまった。

だが、本書を読む前と違うのは、数式に対するアレルギーではなく、理解できない悔しさが勝っていたことだ。

一から数学を学びなおし、この最後のくだりはぜひ読み返したい。

無駄学

西成教授は数学と並行して「無駄」についても研究をしているとのこと。

示唆に富む話だった。

教授は「無駄の反義語」を生徒たちに問う。

しっくりしたモノは無い。そもそも無駄の定義自体もしっくりくるものがない。

また、「世の中無駄だらけ」「この世に無駄なものはひとつもない」という相反する意見が共存している。

結論として教授は以下のように説明する。

つまり、「いつまでに役立つのか」、という期間を設定ないと、無駄かどうかは決められないのです。世の中無駄だらけ、という人は、この期間設定が短く、世の中無駄なものなんて何もない、という人は期間設定が長いのです。
――本書223ページより引用

私たちは成果と結びついて初めて「無駄ではない」と判断する。

現時点で成果が出ていない、あるいは失敗している場合は無駄となるが、さらにその先に成果が生まれれば無駄ではなかったといえる。

期間設定をどこまでと定めるかによるという話、なるほど。

そして、この無駄学の延長として、私たちの社会を構成するシステム「資本主義」へと話しが進む。

社会システム「資本主義」の話

これはたまたま並行して読んでいる『資本主義リアリズム』という本と関連する話で刺さった。備忘録として記しておきたい。

いわゆる「西側」と分類される地域で長いこと人間をやっていると「資本主義って実際どうよ?」という疑問にぶち当たる。

そもそも資本主義は「地球の資源は無限」が前提のツッコミどころ満載「永続的利益最大化計画」である、と私は認識している。

ただ無知な私はツッコミ方が分からない。

西成教授の話はそのあたりの疑問にいくつかヒントを与えてくれるものだった。

223ページ以降から箇条書きの引用でメモを残す。

  • 現在の資本主義が人類の社会システムの最終形態なのかというと、このままいけるとも思えない。
  • 現在のシステムは、すべてにおいて「経済成長」を前提にした仕組みで成り立っています。
  • 1972年にローマクラブが出した報告書「成長の限界」では、このまま人口増加や環境破壊がつづけば、今後百年以内に人類の成長は限界に達して世界は危機に陥る、と書かれてありました。
  • 成長一辺倒のシステムは、地球が有限である限り、いつかは破たんします。
  • そこで、経済成長なしでやっていけるシステムは可能かどうかという議論が、以前から世界でなされているのです。

ちょっと想像してみれば確かにそうだ。優秀な方々はすでに新しいシステムを生み出そうと頑張っているのだ。

実際にはどういった案があるのか、その辺も語っている。

  • ゼロ成長社会というと、個人がチャレンジ精神をなくして社会の創造性が減退していくような暗いイメージがつきまとう。
  • 微分方程式論によれば、ある量が時間とともにどのように変化していくかは、①いずれ一定の状態に落ち着く、②無限に増えつづける、③振動状態になる、という3つのパターンになります。
  • 第3の「振動」状態、これに対応する経済システムというのはありえるのではないか。(振動経済)
  • 平均的には成長率はゼロですが、あるときはプラスで、あるときはマイナスになるのを周期的にくり返す。
  • 景気の波というのは、もうちょっと長い周期で来る。
  • トータルで上昇している。
  • もうちょっと小さな振動で、トータルで上に向かわない、成長率0パーセントで、小さくゆらゆらしている、そんなことができないかなとイメージしています。

実際にとか具体的にという話しを現時点でするのは野暮だろう。

いまの資本主義が生み出す弊害は「成長を常とするところ」にその原因の多くがあると考えている。

であれば、この「成長を常としないモデル」は大きなヒントになる気がする。

おそらく新たなシステムが生まれたとしても新たな弊害が生まれるだろう。

だが人類が真に成長させるべきは「経済」ではなく「システム」だろうと気づかされる。

消費しきれない生産性を発明できたとして喜ぶのは投資家やボードの面々だけだろう。

持続的で幸せな人の数を最大化できるシステムが良いと思うのだがどうだろうか。

まとめ

本書を通じ、本来の私の目的は達せられたと思う。

なぜなら読む前にはミリも存在しなかった「数学を学ぶ覚悟」を決めることができたから。

私のような数学アレルギー持ちで必要なのに学ぶ勇気を持てなかった人間をこうも変化させる『とんでもなく役に立つ数学』はとんでもなく役に立つので興味がある方はぜひぜひ読んでみてほしい。

コメント

三文字(i e π)寄れば文殊のヒフミヨ さんのコメント

≪…期間設定をどこまでと定めるかによるという話…≫を、数学(数の言葉ヒフミヨ(1234))そのものが人の一生での[仏]からのお借りしたコトバとするなら、本書の[二律背反]を説明しうるコトバを具備しているのに気付く・・・
 この物語の源流は、絵本で・・・
 もろはのつるぎ
   (有田川町ウエブライブラリー)
    
 すうがくでせかいをみるの

neputa さんのコメント

コメントどうもありがとうございます。
有田川町ウェブライブラリーを訪れてみました。『もらはのつるぎ』は誰でも閲覧できたので早速読んでみました。数字の世界を新鮮な気持ちで見ることができる作品でとても素敵でした。
『すうがくでせかいをみるの』を調べてみましたが、とってもかわいらしい表紙の心ひかれる絵本ですね。今度、図書館に行ったときに探してみようと思います。
数あるブログの中から私の文章にたどり着いていただき、とってもうれしく思っております。ありがとうございます!

京のヒフミヨ巡り さんのコメント

 ここに訪問できたことに感謝しています。

 「すうがくで せかいを みるの」ミゲル・タンコ作 福本友美子訳 西成活裕(日本語版監修)から、[百人一首][俳句][今様](歌謡曲)などの[本歌取り]などと絡めて・・・
 「すうがくって どこにでも かくれてる。 かずや かたちを みつけて いろいろ かんがえるのが たのしいの。」 を、
[ヒフミヨイの歌]で、[カタチ]と[言葉(点・線・面)]と[数の言葉ヒフミヨ(1234)]を繋げる。
  [ヒフミヨイの歌]
ヒフミヨイ 時間(とき)も物質(かたち)も
回りてめぐる この世界に
生まれ出で 出会いを重ね
形なき闇を 見つめる術知る

ムナヤコト 夜が訪れ
また日は昇る この世界よ
罪も汚れも 結べぬ答えも
すべて吐き出し 空にもろ消せ

[カタカムナ (形ある世界と形のない世界)]の
[カタチ](形ある世界)と[数の言葉ヒフミヨ(1234)](形のない世界)を、【すうがく】で繋げる。

「みずうみに いしをなげると、 おちたところから いくつもの えんが うまれる。「どうしんえん」って いうんだよ。」 は、
[数の言葉ヒフミヨ(1234)]を【すうがく】で繋げると〚素数えん』で、半径(1)が『幻のマスキングテープ』に生っているんだ。
     絵本 『かおすのくにのかたなかーど』
「エラトステネスの篩」の本歌取りで、
『幻のマスキングテープ』

陰陽師 陰陽の神様
数直線を創った神様
刀札よ、でんぐり返り始め
素数を創るでんぐり返りだ
2枚の刀札のでんぐり返りで2の倍数消えよ
4,6,8,10,12,14
刀模様消える
2の素数は模様残す
つぎにでんぐるのは3枚の刀札
9,15,21
刀模様消える
さてつぎの5枚の刀札
25,35,55 ・・・ キエル
5の刀札残して消える
おつぎは7枚でんぐり返り
こうして創る
100までの素数


「このせかいは かたちで いっぱい。 かたちで あそぶのって おもしろい。」 は、
[数の言葉ヒフミヨ(1234)]を【すうがく】で繋げると円(〇)三角(△)四角(□)らをウマクウマク纏め上げて、演算符号(+-×÷√=)にしているよ。
    『母の日に臍をみつめてヒフミヨイ』
    絵本「わのくにのひふみよ」

「きれいな きょくせんを さがすのも たのしいし・・・・・・」は、
[数の言葉ヒフミヨ(1234)]を【すうがく】で繋げると『ヒフミヨ渦巻』から円へ。
    「ドラえもんの歌」の本歌取りで、
『 ヒフミヨえん 』 
 少しだけ不思議な
 普段のお話
 指先と机の間 二次元
 落ちこぼれた一も
 出来すぎの π も
 同じ〇の下で
 暮らした次元
 そこに四次元
 コンパスだって 点をずらして
 震えながら 曲がりを叫ぶだろう
 だから
 ここにおいでよ
 一緒に冒険しよう
 何者でもなくても
 世界を救おう
 いつか
 π が一から
 必ず辿りつくから
 π に会えるよ
 あうんあうんあうんあうん
 ヒフミヨえん
 背中越しの過去と
 輝く未来を
 カオス(∞)の光で
 今で繋ごう
 阿吽で繋ごう
 カオス(∞)な π も しずかな一(いち)も
 ヒフミヨ唄 誰かを救うだろう
 だから
 ここにおいでよ
 一緒に冒険しよう
 何者でもなくても
 世界を救おう
 いつか
 π が一から
 必ず辿りつくから
 π に会えるよ
 あうんあうんあうんあうん
 ヒフミヨえん
 〇(円)だって 心を痛めて
 i(あい)をこめてさよならするだろう
 π が遺したモノ 探し続けるコト
 浮かぶ空想から また数が生まれる
 ここにおいでよ
 一緒に冒険しよう
 何者でもなくても
 世界を救おう
 いつか
 π が一から
 必ず辿りつくから
 π をつくるよ 
 あうんあうんあうんあうん
 ヒフミヨえん


「かずを かぞえて、どうやって わけたらいいのか かんがえるのも すき。」は、
[数の言葉ヒフミヨ(1234)]を【すうがく】で繋げるとエジプト分数だ。[かんがえる]のは【-1】で[わけたらいいのか]がその数に生る。つまり、
(n-1) ⇒  (1/n) 
モトモト数えるモノが一つなら、数える操作(フラクタル)は、【0】で、分ける必要はないコトが,【1/1】である。2個は、1回かぞえて2個を知る。 操作(フラクタル)数は、【1】で、全体(【n】)の中の数えるモノ(【1】)との関係は、【1/2】である。このコトをカタチで【すうがく】と繋げるているのが、『自然比矩形』で『自然数製造機』だ。
    『久方の光のどけきながしかく静心なく四角生るらむ』
     絵本「もろはのつるぎ」 (有田川町ウエブライブラリー) 


「あたまのなかは すうがくだらけ。みんなには ちんぷんかんぷん らしいけど。」
「だれにだって すきなことがあって、それぞれの やりかたで せかいを みてる・・・・・・」
「だから、すうがくで せかいをみるのも いいじゃない?」

「数学ノート」を数の言葉ヒフミヨ(1234)の『文殊菩薩ノート』に。

「フラクタルは、同じ図形のなかにまたおなじ図形が入っているもの。」を、
[入れ子]と捉え、その操作を『フラクタル数』(操作数)とし、数の言葉ヒフミヨ(1234)を【すうがくでせかいをみるの】で眺めると、
(1/exp【n】)(exp【n+1】-exp【n】) は、
直交座標の横軸区間(exp【n+1】-exp【n】)を反比例曲線(1=(-exp【n】)(1/exp【n】))での操作数が、自然数(n)である。これがカタチを変えない『自然比矩形』で、静なる『自然比矩形』と呼ぶ。 演算符号の(+-×÷=)を生まれさせ、数学する時間を【-1】(i²)とし数の言葉の世界の数えることを自然対数の底(e)に時間を潜ませる。
 これは、「時間は存在しない」カルロ・ロヴェッリ著 富永星訳に、
【 …時間は、本質的に記憶と予測でできた脳の持ち主であるわたしたちヒトの、この世界との相互作用の形であり、わたしたちのアイデンティティーの源なのだ。
 そして、苦しみの源でもある。
 仏陀は・・・生まれること 老い 病 死 ・・・ 苦である。
 時間の経過に耐える。・・・
 わたしたちは時でできている。 …】  のように数の言葉の世界に[時]をしのび込ませたい・・・

「多角形は、いくつかの直線(ちょくせん)でかこまれた図形。」を、
円(〇)に、三角(△)四角(□)を浮かべる、直交座標に半径(【1】)の円の円環の3等分・4等分は、それぞれ√3の正三角形・√2の正四角形に生る。
 数の言葉ヒフミヨ(1234)の自然数は、静なる『自然比矩形』と動なる『ヒフミヨ矩形』『ヒフミヨ渦巻』『ヒフミヨ放射』の成れの果ての円環が無理やり静止させた円(π)である。
 円環の正六角形と正四角形を直交座標に組み込むコトは、(√3)(√2)=(√6)の計算に生る。
 (離散 算数 コスモス ・・・ ) の 対義語として(連続 数学 カオス ・・・)とで、【すうがくでせかいをみるの】に生る。
 円環の正六角形の点・線・面(△ □ 白金比長方形 直角三角形 ・・・)の【すうがくでせかいをみるの】は、演算符号(+-×÷√=)や方程式 数式 の意味と繋がっている。
 特に、円環の12等分と直径の12等分は、無限(2次元・平面)を通じて繋がり、あの【-1/12】の不思議な数が[直交座標]と[極座標]の結婚を【すうがくでせかいをみるの】に想う・・・
 『 √6意味知ってると舌安泰 』
 「言葉は三角、こころは四角だな」の本歌取りで、

 『言葉は直線、こころはヒフミヨだな』
言葉は三角で 心は四角だな
まあるい円をそっとなぞてくれ 

知らないヒフミヨの  
知らないヒフミヨで 
知らない三角四角と恋に落ちるだろう 
いつかきっと円も恋に落ちるだろう

繋ぐ円で点を見つけ追いかけ出会えず 

言葉は直線心はヒフミヨだ 
まあるい円をそっとなぞてくれ 

ヒフミヨは数えてく円は点を創り続けて 
円の匂いはヒフミヨの匂い 

いつかきっと円も恋に落ちるだろう 

繋げる点を追いかけ出会えず 

点の話をしよう 
曲がらないうちに 
この恋(点)が冷めてしまわないうちに

直線はさんかくでこころはヒフミヨだ
曲がる点よ飛んでゆけ 

曲がる点よ飛んでゆけ 
 

「同心円は、中心が同じで大きさのちがう円がいくつも入っている図形。」を、
自然数(n)についてゼータ関数に従って全部を(無限に)足し合わせた値が、素数(p)についての全部を(無限に)掛け算した値と「等しい」の記事で観ると、直交座標の縦軸が[素数(p)についての全部を(無限に)掛け算した値]で、横軸が[(無限に)足し合わせた値]と生っている。


「いろいろな曲線(きょくせん) 曲線は、まっすぐでない線のこと。」を、
動なる『ヒフミヨ矩形』からの『ヒフミヨ渦巻』を「円のようにつながった線」にしたい。
 〇▢サインコサイン繋いでる


「立体図形(りったいずけい) 3次元の空間的広がりをもつ図形。立体図形には、こんなしゅるいがある。」を、数の言葉ヒフミヨ(1234)の成り立ちから、十進法の基における西洋数学の成果の符号(Ⅰ e π)と繋がっているのは、
 球((4/3)π) 『創発円筒体』(π(e-1)) 
『創発直方体』((e-1)((e-1)/(e-2))) 



 

匿名 さんのコメント

 「いろいろな軌道(きどう) 軌道というのは、物体が空間を動くときにできるまがった道すじのこと。」を、
数の言葉ヒフミヨ(1234)の進むのが『ヒフミヨ放射』で創るギザギザな『ヒフミヨ渦巻』に[軌道]を想う・・・
「ふたりで半分こ」の本歌取りで、
『 三角で半分こ 』

真四角がいちまい あったら あったら
ジョリィとボクとで 半分こ 
ちょっぴりかなしく なったら なったら
切り目に1たて 三角に

三角あわせ しかくになって
マタマタ分けると 半分こ
つづけてつづけて 切り目に 1たて
数える 半分こ

ふたりでつづける 数のみちは
ホラ なんでもきっちり 半分こ

ジョリィとボクとで 作れる 三角
進んだ四角の 半分こ
どこまでつづける 四角の 三角
数える姿は 半分こ

なにかいいこと あしたはおこる
ワクワクするのも 半分こ
数え歌詠う姿は ひふみよ ひふみよ
希望も 半分こ 


「集合(しゅうごう)の種類 集合というのは、ものの集まりのこと。集合をつくているものを要素という。その要素は、まぜたり、足したり、引いたりできて、ちがう集合をつくることができる」を、
要素を[数の言葉ヒフミヨ(1234)]とすると、「その要素は、まぜたり、足したり、引いたりできて、ちがう集合をつくることができる。」は、
【[数の言葉ヒフミヨ(1234)]は、1・2・3・4次元で計算でき(閉じていて)、ちがう数体をつくることができる。】 
『数の言葉ヒフミヨ(1234)の集合は、1次元集合 2次元集合 3次元集合 方程式の係数集合 をつくる。』
これは、『離散的有理数の組み合わせによる多変数関数』の『存在量化確度方程式』『存在量化創発摂動方程式』が、数の言葉ヒフミヨ(1234)と合致している。

 『 もろともにあわれとおえヒフミヨは数より他に知る人もなし 』

 『 数学はもののあわれを教えてる 』


同じ、福本友美子訳の絵本の「数字はわたしのことば ぜったいにあきらめなかった数学者ソフィー・ジェルマン」の【外に対する力をもたない人ほど、内にある心はつよくなるものです】が読後感に残る・・・

neputa さんのコメント

一冊の読書から、偶然にもインターネットを介し新たな作品を教えていただき、知を広げることができ感謝しています。
個人の小さなブログではありますが、わずかでもお役に立てたのであれば大変うれしく思っております。
コメントいただきありがとうございます!