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きみはいい子の装丁

あらすじ

17時まで帰ってくるなと言われ校庭で待つ児童と彼を見つめる新任教師の物語をはじめ、娘に手を上げてしまう母親とママ友など、同じ町、同じ雨の日の午後を描く五篇からなる連作短篇集。家族が抱える傷とそこに射すたしかな光を描き出す心を揺さぶる物語。
――本書より引用

本書の収録作品

  • サンタさんの来ない家
  • べっぴんさん
  • うそつき
  • こんにちは、さようなら
  • うばすて山

虐待やいじめのトラウマがある方へ

物語のなかには、いじめや親によるこどもへの虐待の描写が登場します。

私も、まだ「虐待」という言葉や概念が知られていなかった時代ですが、竹製のモノサシが粉々になるまで親に叩かれていたことを思い出します。

もう何とも思ってはいないつもりでしたが、いざその描写に差しかかると気持ちが「ヒュッ」と縮みあがります。

精神的な痛みが文章から伝わってくるのですね。

決して救いのないお話ではなく、人の優しさや温もりにふれることができる作品ではあります。

ただ、あまり状態のよくないときはよく休みながらゆっくり読み進めると良いかもしれません。

読書感想

いまこの時この瞬間に救いを求めている人がたくさんいる。

ページを開くたび、その思いに駆られた。


児童虐待、いじめ、学級崩壊、独居老人、障碍、介護。

ニュースなどで社会問題として取り上げられるようなテーマが五篇を通じて登場する。

ニュースに取り上げられる、つまりは多くの人が共感するであろう、あちこちで起こっている現実だ。


冒頭の「サンタさんの来ない家」、この物語がはじまってすぐに胸がぎゅっとなる。

無力な新米教師、いじめられるこども、親に虐待を受けているこども。

いじめをするこどもや、教室でさわぐこどもたちの背景にも胸がぎゅっとなる。

こどもは、ひとりひとり違う。ひとりひとりが違う家に育ち、違う家族に見守られている。そして、学校にやってきて、同じ教室で一緒に学ぶ。
――サンタさんの来ない家 P65

みんな違う。わかってる。

そんな、それぞれ違う彼ら彼女らに、どんな言葉をかけたらいいのだろうか。

30人、40人のそれぞれ違うこどもたち全員に等しく教育を届ける方法なんて実際にあるのだろうか?

全然だめな教師のぼく。けんかもいじめもとめられない、なさけないぼく。 でも、この子のためだけにでも、がんばりたい。 明日も学校に来よう。この子のために、来よう。
――サンタさんの来ない家 P71

この新米の先生は、経験もなければ特別な技術もない。

ぜんぶの生徒に行き届く教育なんてできやしない。

だけど、いまにも壊れてしまいそうな子供たちをちゃんと見つけた。

ちゃんと見つけ、「きみはいい子」だと伝えた。


ひとりの人間が大勢を救うことはじっさい難しいことだ。

だけど、いまこの瞬間に助けを求めているひとに手をさしのべることができたなら、それはすごいことだと思う。


いてもたってもいられず、躊躇することなく手をさしのべる。

そんな気持ちを忘れてはいけない、と強く思わされた。

そして、本作品は、ふと救いの手をさしのべることができる人たちの物語でもある。

映像化作品

本書収録の五篇のうち、「サンタさんの来ない家」「べっぴんさん」「こんにちは、さようなら」の三篇をもとに脚本化された映像作品が2015年に公開されている。

監督は「そこのみにて光輝く」を撮った呉美保監督。

もともと同じ町を舞台とした連作なので、ひとつの物語として描かれることで、本書で気づかなかった登場人物たちの接点を発見する楽しみもあった。

脚本のみならず、尾野真千子、高良健吾、池脇千鶴など俳優さんたちの演技も素晴らしい素敵な映画作品だ。

いちばん印象に残ったのは、「サンタさんの来ない家」に登場する「家族に抱きしめられてくる宿題」の場面。

本書でも素敵な場面なのだが、映画ではドキュメンタリーのような映像になっている。

演出を感じさせない雰囲気で、こどもたちひとりひとりの表情や、高良健吾さん扮する新米先生とこどもたちの心が通いあうようすがじんわりと伝わってくる、とても素敵なシーンだ。

以前読んだ「中脇初枝」作品

中脇初枝さんの著書は今回で2作品目。

以前読んだ「魚のように」は著者のデビュー作だ。

透明感のあるうつくしい文学作品で、著者の故郷・四万十川の流れのようにみずみずしい文章に魅せられた。

魚のように 中脇初枝 | neputa note

あらすじ:四万十川が流れる著者の故郷高知県中村を舞台に青春の時を過ごす少年少女を色鮮やかに描いた短篇集。著者のデビュー作となった表題作「魚のように」と「花盗人」を集録。 ――本書より引用 読書感想:読

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付箋を貼った箇所 引用

「虐待されたんでしょ? あたしもだよ。だからわかる。つらかったよね。」
――べっぴんさん P134
自分の体に刻まれたそのしるしを見るたびに、自分は、親に嫌われている、世界で一番わるい子だと思い知る。いくつになっても消えない。世界で一番わるい子のしるし。
――べっぴんさん P136
このぬくもりは、きっと、おばあちゃんのぬくもり。おばあちゃんから伝えられて、あたしに伝わってくる。
――べっぴんさん P138
すききらいやうっかりはともかく、優介のやることにはたいてい理由があった。 それに気づくと、学校で目立ってしまうこどもたちにも、なんらかの理由があって目立ってしまうことがわかってきた。
――うそつき P152
こどもがふしぎな行動を取る背景には、こどもだけでなく、親の問題が隠れていることがある。
――うそつき P166
こどもは、見ている。 大人のいいところも、わるいところも。 目に見えたままを。
――うそつき P168
あの子がランドセルをゆらしながらあいさつをしてくれるとき、あの子の目にわたしが映っている間だけは、わたしがこの世に、まちがいなく生きていることを感じられた。
――こんにちは、さようなら P210
おかあさんじゃなくなってしまった今になって、わたしをかよちゃんと呼ぶ。 おかあさんはずるい。
――うばすて山 P274
わたしはなにもかもおぼえているのに、おかあさんは自分のしたことを、なにもかも忘れてしまった。 おかあさんはずるい。
――うばすて山 P278

【読書感想】きみはいい子 中脇初枝

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あらすじ

時はロシア革命と第一次世界大戦の最中。英国のスパイであるアシェンデンは上司Rからの密命を帯び、中立国スイスを拠点としてヨーロッパ各国を渡り歩いている。一癖も二癖もあるメキシコやギリシア、インドなどの諜報員や工作員と接触しつつアシェンデンが目撃した、愛と裏切りと革命の日々。そしてその果てにある人間の真実――。諜報員として活躍したモームによるスパイ小説の先駆けにして金字塔。
――本書より引用

【読書感想】 英国諜報員アシェンデン サマセット・モーム ー著者の実体験に基づく英国諜報員の物語ー

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あらすじ

ギヴ。それがその犬の名だ。彼は檻を食い破り、傷だらけで、たったひとり山道を歩いていた。彼はどこから来たのか。何を見てきたのか……。この世界の罪と悲しみに立ち向かった男たち女たちと、そこに静かに寄り添っていた気高い犬の物語。『音もなく少女は』『神は銃弾』の名匠が犬への愛をこめて描く唯一無二の長編小説。
――本書より引用

【読書感想】 その犬の歩むところ ボストン・テラン

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あらすじ

庭・池・電燈付二階屋。汽車駅・銭湯近接。四季折々、草・花・鳥・獣・仔竜・小鬼・河童・人魚・竹精・桜鬼・聖母・亡友等々々出没数多……本書は、百年まえ、天地自然の「気」たちと、文明の進歩とやらに今ひとつ棹さしかねてる新米精神労働者の「私」=綿貫征四郎と、庭つき池つき電燈つき二階屋との、のびやかな交歓の記録である。――綿貫征四郎の随筆「烏歛苺記」を巻末に収録。
――本書より引用

【読書感想】 家守綺譚 梨木香歩

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あらすじ

貧困に喘ぎ、暴言をまき散らし、女性のぬくもりを求め街を彷徨えば手酷く裏切られる。屈辱にまみれた小心を、酒の力で奮い立たせても、またやり場ない怒りに身を焼かれるばかり。路上に果てた大正期の小説家・藤澤清造に熱烈に傾倒し、破滅のふちで喘ぐ男の内面を、異様な迫力で描く劇薬のような私小説二篇。デビュー作「けがれなき酒のへど」を併録した野間文芸新人賞受賞作。
――本書より引用

【読書感想】 暗渠の宿 西村賢太

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あらすじ

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変わるひと月あまりを、西の魔女のもとで過ごした。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。その後のまいの物語「渡りの一日」併録。
――本書より引用

【読書感想】 西の魔女が死んだ 梨木香歩

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あらすじ

原発技術者だったかつて、極秘情報をソヴィエトに流していた島田。謀略の日々に決別し、全てを捨て平穏な日々を選んだ彼は、己をスパイに仕立てた男と再会した時から、幼馴染の日野と共に、謎に包まれた原発襲撃プラン〈トロイ計画〉を巡る、苛烈な諜報戦に巻き込まれることになった……。国際政治の激流に翻弄される男達の熱いドラマ。全面改稿、加筆400枚による文庫化!
――本書より引用

【読書感想】 神の火 高村薫

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あらすじ

小さなバラ色の雲が空から降りてきて、シナモン・シュガーの香りで二人を包み込む……ボーイ・ミーツ・ガールのときめき。夢多き青年コランと、美しくも繊細な少女クロエに与えられた幸福。だがそれも束の間だった。結婚したばかりのクロエは、肺の中で睡蓮が生長する奇病に取りつかれていたのだ――パリの片隅ではかない青春の日々を送る若者たちの姿を優しさと諧謔に満ちた笑いで描く、「現代でもっとも悲痛な恋愛小説」。
――本書より引用

【読書感想】 うたかたの日々 ボリス・ヴィアン

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あらすじ

鷲田完治が道東の釧路で法律事務所を開いてから三十年が経った。国選の弁護だけを引き受ける鷲田にとって、釧路地方裁判所刑事法廷、椎名敦子三十歳の覚醒剤使用事件は、九月に入って最初の仕事だった(表題作『起終点駅』)。
久保田千鶴子は札幌駅からバスで五時間揺られ、故郷の手塩に辿り着いた。弟の正治はかつてこの町で強盗殺人を犯し、拘留二日目に自殺した。正治の死後、町を出ていくよう千鶴子を説得したのは、母の友人である星野たみ子だった(「潮風の家」)。北海道各地を舞台に、現代人の孤独とその先にある光を描いた短編集を、映画化と同時に文庫化!
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 北海道各地を舞台とした6編の短編集。タイトル作は映画化されている(2015年)。
  • 根無し草のように生きる人々の物語であるが孤独感や悲壮感よりもわずかである人とのつながりが眩しく輝く作品。
  • 『ラブレス』『ホテルローヤル』という素晴らしき作品を超える濃密な人間ドラマを楽しむことができる。

これまで読んできた作品を超える良さが光る6編

『ラブレス』という作品を最初に読んでから桜木紫乃作品は本作で4作目となる。

ラブレス (新潮文庫) 桜木紫乃 あらすじと感想 | neputa note

ラブレス (新潮文庫) 桜木紫乃 あらすじと感想流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の壮絶な人生を描いた圧倒的長編小説。何かと女性が生きづらい昭和

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誰もいない夜に咲く 桜木紫乃 (角川文庫) あらすじと感想 | neputa note

誰もいない夜に咲く 桜木紫乃 (角川文庫) あらすじと感想 親から継いだ牧場で黙々と牛の世話をする秀一は、三十歳になるまで女を抱いたことがない。そんな彼が、嫁来い運動で中国から迎え入れた花海とかよわす

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ホテルローヤル 桜木紫乃 集英社文庫 ー あらすじと感想 | neputa note

ホテルローヤル 桜木紫乃 集英社文庫 ー あらすじと感想 北国の湿原を背にするラブホテル。生活に定年や倦怠を感じる男と女は”非日常”を求めてその扉を開く――。恋人から投稿ヌード写真の撮影に誘われた女性

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出版年で見ると本作は『ホテルローヤル』『誰もいない夜に咲く』の前となる作品だが、その物語としての完成度は最も高い印象を受けた。

著者の作品は総じてページを多く消費するものではなく、比較的短い物語の中で話の核となる部分を濃密に描き出す作品が多い。
余計なものを削ぎ落して作り上げられた作品といった印象である。

本作ではその部分がとりわけ研ぎ澄まされているように感じ、深く心の奥へと突き刺さった。

6編の目次は以下のとおりである。

かたちのないもの
海鳥の行方
起終点駅(ターミナル)
スクラップ・ロード
たたかいにやぶれて咲けよ
潮風(かぜ)の家
――本書より引用

とりわけ本作の各編には根無し草のような血縁といった意味合いにおける孤独な人々が多く登場する。
といっても孤独な人生を描くのではなく、これまで読んだ作品と同じように人と人との関係性が印象深い作品となっている。

帯の折り返しに著者の言葉として以下の言葉が載っているのだが、孤独感が強い人生を強いられてきた人ほど数少ない縁を深く大切にするのかもしれないと考えさせられる。

「始まりも終わりも、ひとは一人。だから二人がいとおしい」
――桜木紫乃
――本書より引用

孤独なひとたちが紡ぐつながりに魅了される

その最もたるのが「たたかいにやぶれて咲けよ」という物語。
この話の始まりはサプライズであった。
「山岸里和」(やまぎしさとわ)が再び登場したからだ。

彼女は二篇目の「海鳥の行方」に登場した人物で若い新米記者である。
短編集だと思い読み進めていたら、彼女が再び登場したのである。

「海鳥の行方」ではろくでもない上司やまだ経験浅い自分自身に四苦八苦しながらもひとり強気で前に進む彼女の姿があった。

ここでも彼女の人生を左右する出来事が物語となっているのだが、「たたかいにやぶれて咲けよ」では更に彼女の心に深く刻まれるであろう出会いが描かれる。

おかしな表現になるがそこには「まるで小説のようなはなしが描かれている」のだ。
小説なのだから当然なのだが、そう錯覚させるリアルな小説を描いた素晴らしさがある。

里和はかつて歌人として名を馳せた「中田ミツ」という女性が、いまでは養護老人ホームで余生を送っていることを記事にしようと挑むのだが、取材で中田ミツに翻弄され記事にできなかった。

だがミツは奇妙な言葉を里和に残している。

「死んだあとならかまわない。記事にするなら、わたしが死んでからになさい。明日かもしれないし、一年後かもしれないけど、今日の取材が生きるのは、おそらくわたしが死んでからのことよ」
――本書より引用

これは事実上、里和にとっては遺言となりそして予言にもなるのであった。

この話のタイトルは
『たたかいにやぶれて咲けよひまわりの種をやどしてをんなを歩く』
という中田ミツの作品の一部である。

この句はこの物語の核心であり中田ミツの過去を知る鍵でもある。
そしてこの歌人への興味が膨れ上がるキッカケでもあった。

里和は死んだミツの魂に操られるように彼女の人生をたどる。
そしてまるで小説のような中田ミツの人生を知る。
この一連の導きと、里和がミツというひとりの人間のその姿を真に捉えるその状況、描写がたまらない。

その内容もしかり。
「感情のるつぼ」とはこのことかと振り返る。
もう感動なのか悲しみなのか、圧倒されたからなのか、感情を整理できぬままただただ涙を流すしか無いことがあるのだと今になって驚いていたりする。

とにかく良かったので詳細には触れずにおくが、「中田ミツ」という人物はとても魅力的で彼女を知りたいと強く思ってしまった。
願わくば著者が彼女を主人公とした作品を執筆してはくれぬだろうかと、このウェブ界の片隅でわりと本気で願っている次第。

桜木紫乃作品について

これまで4作品を読み終えこれまで感じてきた著者によるすべての人々に対するその温かな視点や研ぎ澄ましていくように少ないページ数で濃密な物語を紡ぐその姿勢などは、個々の作品固有ではなく、小説家としての一貫したものであると改めて感じさせられた。

また描かれる時代は特に明記されていないが携帯電話の登場などからおそらく平成の世であることは明らかなのだが、私にとってなじみ深い昭和な香りが漂う情景はなぜだろうと毎度思っていたのだが、北海道という地がまだまだそういう空気を残しているということなのかもしれない。

まだまだ未読の作品があるのでこれからも読み続けていきたい。


映像化作品について

2015年にタイトル作が佐藤浩市・本田翼主演、篠原哲雄監督で映画化されている。
短編集といえども一編一本の映画作品を作るに十分な物語があるのでぜひ一度観てみたい。


著者について

桜木紫乃(さくらぎ・しの)
一九六五年北海道生まれ。二〇〇二年「雪虫」で第八二回オール読物新人賞を受賞。十三年『ホテルローヤル』で第一四九回直木賞受賞。他の著書に『氷平線』『凍原』『蛇行する月』『星々たち』『ブルース』など。

【読書感想】 起終点駅 ターミナル 桜木紫乃

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あらすじ

北国の湿原を背にするラブホテル。生活に定年や倦怠を感じる男と女は”非日常”を求めてその扉を開く――。恋人から投稿ヌード写真の撮影に誘われた女性事務員。貧乏寺の維持のために檀家たちと肌を重ねる住職の妻。アダルト玩具会社の社員とホテル経営者の娘。ささやかな昂揚の後、彼らは安らぎと寂しさを手に、部屋を出ていく。人生の一瞬の煌きを鮮やかに描く全7編。第149回直木賞受賞作。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 北海道釧路市出身の作家が故郷を舞台に書き上げた7編の短編集。直木賞受賞作品。
  • タイトル「ホテルローヤル」というラブホテルを中心につながりを持つ連作でもある構成が物語により深みを与えている。
  • 著者は決して楽ではない人生を送る人々をありのままに描くのだがその眼差しには包み込むような温かさを感じる。

連作を構成する7編の物語、その中心にあるのは

北海道釧路の町を舞台にした7編の短編集。
廃墟となったラブホテルでヌード写真を撮影をしたいと言い出す男とその彼女。どこかにいるであろうカップルの物語で幕を開ける。(シャッターチャンス)

その町には当然ながら様々な人々がそれぞれの人生を生きている。
印象としては「決して楽ではない人生を、懸命に生きている」といった具合であろう。
そして彼らの人生の物語には共通してある場所がシンボルのように存在しているのだが、それは何か。

タイトルである「ホテルローヤル」、湿原を背に建てられたラブホテルだ。

様々な人生模様、過去をたどるストーリー

各物語の登場人物のホテルローヤルとの関わり方は様々で、客としてまたは経営者として、清掃員という人物もいる。
先に書いたように冒頭の話は廃墟で撮影をしようとホテルローヤルを訪れている。

そう、ホテルローヤルは廃業したものとして物語は始まり、読み進むと時間は過去へと遡りホテルが営業していた頃から開業時へと進み、そこに関わってきた人々の人生を知る話として構成されている。

この構成は話の終わりが近づくごとに威力を増す。
それは、いずれの話も、「最後には廃墟となるホテルでかつて営まれたこと」という事実が、たとえそれが暖かなことであっても悲しさを帯びたものでも、儚い側面をそえることになる。

幸せ成分少なめにも関わらず温かな読後感は著者の特徴

そういえば泡がはじけ散り行く描写が散見される。

出てくる人々はみな何かが足りず満たされていることはない。

生きることは苦しいことだし、夢や希望なんてものは泡のように膨らんでは一瞬にしてはじけ飛んでしまいこぼれ落ちてしまうものだから。

では不幸だらけのやるせない作品かといえばそうではない。
それはこれまでに読んだ本作で3冊目となる桜木紫乃作品に共通して感じたことでもある。

ラブレス (新潮文庫) 桜木紫乃 あらすじと感想 | neputa note

ラブレス (新潮文庫) 桜木紫乃 あらすじと感想流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の壮絶な人生を描いた圧倒的長編小説。何かと女性が生きづらい昭和

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誰もいない夜に咲く 桜木紫乃 (角川文庫) あらすじと感想 | neputa note

誰もいない夜に咲く 桜木紫乃 (角川文庫) あらすじと感想 親から継いだ牧場で黙々と牛の世話をする秀一は、三十歳になるまで女を抱いたことがない。そんな彼が、嫁来い運動で中国から迎え入れた花海とかよわす

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著者はあまり目立たぬような人々にも焦点を当てその人の暮らしや生活の様子をありのままに描く。あまり幸福ではない人が多いように感じる。

にも関わらずじんわりとした読後感は何であるかと考えてみると、著者のその視点に温かなものがあるからなのではと思い至る。
そしてそれはおそらく著者が人と向き合うときの姿勢から生じているのだろう。

6つ目の話「星を見ていた」。

死んだ母の言いつけを守り慎ましく生きるホテルローヤルの清掃員であるミコという女性。遠くで暮らす息子が逮捕されたと聞き、内側から急に押し寄せてくる濁流に押し流されるように己を見失う。

深夜仕事からの帰り道、家の方向から外れ林の中へと入り切り株に座りただただ呆然と星を見ていた。

やがて夫が自分を探す声が聞こえる。

何をしてたか聞く夫に対し、「星をみてた」と言葉少なに返す。

「そうか」とこちらも短く答え、ゆっくり二人は家路につく。

一連の描写はこのうえなく美しく、そして温かい。

自然と涙があふれた。

追記:2020年10月23日(金)

NHKの朝の番組「あさイチ」に著者の桜木紫乃さんが出演されていた。

書斎やご家庭の様子や、趣味のサックス演奏からおすすめの本など盛りだくさんの内容で、とても楽しい番組だった。

そして、本作が映画化されることを知り、これはぜひ観に行こうと思った次第。

11月13日(金)より全国で上映されるとのこと。

波瑠&安田顕「ホテルローヤル」撮影地・北海道に凱旋! 「背中をそっと押してくれる作品になった」 : 映画ニュース - 映画.com

波瑠が主演し、第149回直木賞を受賞した桜木紫乃氏の小説を実写映画化する「ホテルローヤル」の北海道凱旋報告会が10月19日、北海道・札幌グランドホテルで行われ、波瑠と桜木氏のほか、共演の安田顕、武正晴

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著者について

桜木紫乃(さくらぎ・しの)
1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール読物新人賞を受賞。07年同作を収録した単行本『氷平線』でデビュー。13年『ラブレス』で第19回島清恋愛文学賞、同年『ホテルローヤル』で第149回直木賞をそれぞれ受賞。他の著書に、『硝子の葦』『起終点駅(ターミナル)』『星々たち』『ブルース』『それを愛とは呼ばず』など。
――本書より引用

【読書感想】 ホテルローヤル 桜木紫乃

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あらすじ

親から継いだ牧場で黙々と牛の世話をする秀一は、三十歳になるまで女を抱いたことがない。そんな彼が、嫁来い運動で中国から迎え入れた花海とかよわす、言葉にならない想いとは――。(「波に咲く」)寄せては返す波のような欲望にいっとき身を任せ、どうしようもない淋しさを封じ込めようとする男と女。安らぎを切望しながら寄るべなくさまよう孤独な魂のありようを、北海道の風景に託して叙情豊かに謳いあげる。解説・川本三郎
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 北海道を舞台にさまざまな人生を送る男女を描いた7編の短編小説。いずれも深く心に染みわたる美しい文章が心を満たしてくれる。
  • これから一歩踏み出そうとする人の背中を押してくれる作品集とも言える。
  • みな決して強くはないし成功もないが、敗者などはいない。すべての人への人生賛歌のようにも読める心温まるストーリー多数。

桜木紫乃作品、2作目

今年の春に『ラブレス』という作品を読んだ。

苦しい時代を生き抜いた女性の姿を力強く描いた北海道の開拓村から始る女性三代にわたる大河小説である。

物語としての素晴らしさもあったが、何よりも惹きつけられたのは著者の文章だ。

美しく、時に目が離せなくなる文章にしばしば出会う。

ラブレス (新潮文庫) 桜木紫乃 あらすじと感想 | neputa note

ラブレス (新潮文庫) 桜木紫乃 あらすじと感想流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の壮絶な人生を描いた圧倒的長編小説。何かと女性が生きづらい昭和

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いずれまたほかの作品を読もうと思い、この度手に取ったのが本作品である。

7編の短編、個々の感想

各小編ごとの簡単な感想を。

波に咲く

畜産農家を継いだ沢崎秀一と地域の嫁来い活動ではるばる中国から嫁いできた花海(ホアハイ)。なかなか子供ができないことに業を煮やした秀一の両親は一計をたくらむ。秀一に寄り合いの用事を押し付け留守の間に父親が花海に迫った。

それまで日本語を理解できない振りを貫き通していた花海と、何とか思いを伝えあいたいと願っていた秀一。二人は実家を離れ二人だけの暮らしを始める。

人は交わす言葉は少なくとも深いつながりを生み出すことができる。また悲劇に陥るすんでのところですべてが流れていく物語の構成が素晴らしい。

海へ

風俗の仕事をしながら男の紐であり続ける千鶴。男は記者の仕事を首になった健次郎。どうにも行き場のない絶望に近い停滞感が漂う二人。いつも千鶴を指名する客、加藤。彼は千鶴に専属契約を申し出る。

最終的に千鶴は健次郎も加藤も捨て新しい一歩を踏み出すのだが、そこにいたるまでの展開と描写が秀逸である。

千鶴の心の変化が文章にありありと鮮明に浮き上がる様が印象的だった。

プリズム

引越し会社の事務員仁美。事故でその会社を首になった野口。二人は男女の関係だが幾度かの結婚の契機を逃し付き合いは惰性となりつつあった。

野口は会社に再雇用をしつこく迫るが叶わず、仁美に美人局のようなことをやるよう迫るなど徐々に転落していく。

会社にアルバイトとしてやってきた若者の一人冬馬。彼は仁美に告白し関係を持つ。

ある日、仁美の家で行為に及び帰ってきた野口に目撃される。

そこから見事な文章で映像がスローモーションに切り替わったかの様子が描写される。

死んだ冬馬の遺体を処分しようと海に向かった仁美と野口。もう何処にも行き場のない二人だが、それまでも行き場はなかった。そのせいか悲劇が新しい始まりに思えるなんとも不思議な印象を残す。

フィナーレ

記者の夢を持ちながら地元の風俗誌でバイトをしている潤一とストリップ小屋の踊り子志おり。

潤一が志おりを取材することになり彼の人生に転機が訪れる。

志おりが働くストリップ小屋の主人が語った言葉が印象的だった。

「昔ならいざ知らず、ギャラの高いAV女優がばんばん入ってくるこのご時世で、ストリップ一本で五年続けるのは惰性じゃ無理です。踊り子に求められるものってなんだかわかりますか。長いこと彼女たちを見てきて思ったことですが、それって身持ちの堅さなんですよ」
――本書より引用
「良いストリッパーは目で踊るんですよ」 「足を広げるのを一瞬でもためらうと、客はそこしか見ないんです。客席と舞台は視線で闘っているんだなんて、昔の踊り子さんたちは上手いこと言ってましたね」
――本書より引用

これまで見聞きする機会がなかったストリップの世界の奥行きの深さを知るとともに、見事な筆力で描かれる踊り子の一幕に目を奪われてしまった。圧巻の一言。

個人的にこの話が最も好む話だった。

風の女

実家に残った沢木美津江と十七歳で家を出ていった姉沢木洋子。二十八年の時を経て、お骨となって姉が帰って来ることとなった。

洋子が東京へと流れ着き書道大家の内縁の妻となった話しを伝えてきたのは、その家の跡取りであり父と同様書道家として名を成した寺田樹。

数奇な縁で出会った美津江と樹。それぞれに過去を負い互いの気持ちをわずかずつしか語り合えない大人たちの淡い物語だった。

絹日和

弟子・奈々子 師匠・珠希。二人は着付けの師弟だったが、奈々子の夫が仕事を失った都合で地元を離れる。

久々に再会した師弟。珠希は奈々子に息子の結婚式で新婦の着付けを依頼する。

珠希のむすこはかつて学生時代に奈々子を妊娠、堕胎させた嵯峨信樹。

そのことを珠希は知らぬのだろうか。

複雑な思いを抱えながらも頼みを引き受け五年のブランクを取り戻そうと日々練習を重ねる奈々子。

移転後にすっかり関係が冷え切ってしまった夫との決別し、そして数年振りの着付けの仕事を通し過去のキズと向き合いこれとも決別する。

しがらみを拭い去った奈々子に残ったのは師匠珠希の「必要とされるところに戻っていらっしゃい」という言葉だった。

根無草

離婚後元夫と関係を持ち妊娠した叶田六花(かのうだりつか)は、地方紙の記者。

かつて一家の夜逃げを手配し子供時代に顔を出していた古賀という男がある日六花を訪ねてくる。

久方ぶりに再会したことで埋もれていた記憶がよみがえり古賀と両親の関係が今あらためて理解される。それは決して幸福なものではなかった。

時は人を変え認識していなかったキズも静かに癒やしてくれていたのだろう。

その後六花に古賀が死んだと連絡が来た。

生命保険の受取人を六花、詳しくはその子供にと残し死んでいったとのこと。

六花は別れた夫と怠惰な関係を続け子を身ごもっていた。

古賀は知っていたのだろうか。

全編を読み終えて

共通して印象に残るのは、皆が新しく一歩を踏み出していくことだ。

それぞれ人生も抱えているものも異なるが、人が次へと進もうとする瞬間というのはこんなにも輝かしいとあらためて知る。

いま誰かにそっと背中を押してほしい、そう思っている人にふさわしい一冊。


著者について

桜木紫乃(さくらぎ しの)
1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール読物新人賞を受賞。07年、初の単行本『氷平線』が新聞書評等で絶賛される。12年『ラブレス』で直木賞、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞の候補となり話題を集める。その他の著書に『風葬』『凍原』『硝子の葦』『ワン・モア』『起終点駅(ターミナル)』がある。

【読書感想】 誰もいない夜に咲く 桜木紫乃

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あらすじ

キューバの老漁夫サンチャゴは、長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった一人で出漁する。残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロがかかった。四日にわたる死闘ののち老人は勝ったが、帰途サメに襲われ、舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられてゆく……。徹底した外面描写を用い、大漁を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • アメリカを代表する作家の一人ヘミングウェイが最期に残した名作。
  • 半世紀以上前の作品とは感じさせない瑞々しさをたたえておりまた長く読まれる名作としての力強さもある。。
  • 老人による一度の漁で人生や自然界の縮図を感じさせてしまう文章に圧倒される。

Don't think, just read it.

作品が全てでありこれ以上でも以下でもない。
いまさら何かを述べる必要なんてない。

そんな気持ちになった作品だったよ、ということで最小限のメモを。

老人サンチャゴは小舟を押して海に出る。

八十五日の不漁という不運を取り返すべく大物を目指す。

キューバの明るい日差しの下でとうとう彼は大物に巡り会う。

なかなかにしぶとく鈎と縄で繋がった老人と大物は幾日も海をさまよう。

長時間の格闘の末ついに勝負は決する。

あとは港に帰るだけだが何匹ものサメが群がりその行く手を阻む。

港に帰り着いたとき、大物はすっかり無残な姿となり老人は精魂尽き果てるほどにくたびれてしまった。

漁に出ている間、老人は幾度も自分自身や魚と対話し過去の記憶に思いを巡らせる。

大物と格闘しているとき、かつてまる一日かけてガタイの良い黒人と腕ずもうの勝負をしたこと。
傷つき疲れ切ったとき、いつもかたわらでやさしく世話をしてくれる少年のこと。

失意と希望の間で揺れながら、一時は大物を仕留めた勝利に歓喜を抱くものの、生死のやりとりにおける罪についての思索に囚われたりもする。
手にしたものをものの数時間後には失ってしまう人生の儚さも味わう。

儚い勝利と敗北が横たわる一連の漁は、まるで人の一生を描いているかのようだ。
また自然界は豊かに、そして残酷に回っているのだとあらためて認識する。

人生は勝敗のみで決するものではない終わり方も胸を打つ。

巻末の訳者による解説に興味深い話があったのでメモを。

時間の原理のうえになりたったヨーロッパ、空間の原理のうえになりたったアメリカ。
――本書より引用
短編ですと、人生の一断片を未解決のままに冷たく描き出すということでいいでしょうが、長編では、なんらかの思想がその背景にないと、いたずらに人物や事件の通俗的なスペクタルになってしまって、内容的にも、形式的にも、緊張した構成の美は得られません。たとえ作品のなかに露に出てこなくても、やはり作者の倫理感が長編の展開を押しすすめていくものだからです。
――本書より引用

著者について

アーネスト・ヘミングウェイ
Ernest Hemingway
(1899-1961)
シカゴ近郊生れ。'18年第1次大戦に赤十字要員として従軍、負傷する。'21年より'28までパリに住み、『われらの時代』『日はまた昇る』『男だけの世界』などを刊行。その後『武器よさらば』、短編「キリマンジャロの雪」などを発表。スペイン内戦、第2次大戦にも従軍記者として参加。'52年ピューリッツァ賞を受賞。'61年、猟銃で自裁。
――本書より引用

訳者について

福田恆存
Fukuda Tsuneari
(1912-1994)
東京生れ。東大英文科卒。評論・翻訳・劇作・演出の各分野で精力的に活躍。主著には『人間・この劇的なるもの』等多数。芸術院会員。
――本書より引用

【読書感想】 老人と海 ヘミングウェイ

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あらすじ

胎児のように手足を丸め横たわる全裸の女。周囲には赤、白、黃、色鮮やかな無数の折鶴が螺旋を描く――。都内で発生した一家惨殺事件。現場っは密室。唯一生き残った少女は、睡眠薬で昏睡状態だった。事件は迷宮入りし「折鶴事件」と呼ばれるようになる。時を経て成長した遺児が深層を口にするとき、深く沈められていたはずの狂気が人を闇に引き摺り込む。善悪が混濁する衝撃の長編。
――本書より引用

読書感想

※ネタバレを含んでいます。

読みどころ

  • ある女性との出会いをきっかけに、過去の未解決事件にはまり込んでいく男を描いたミステリ仕立ての文学作品。
  • 内面に暗部を抱え、そんな自分を始末してほしいと願う者たちを惹きつける不思議な魅力を秘めた事件と、それに引き込まれる青年の葛藤を描いている。
  • さまざまな意味にとれるタイトルの「迷宮」という言葉を巡り、深く読み込むと楽しめる。

主人公について

「新見」という青年。
冒頭、子供時代の記憶であろう。医師?のような男にこう語りかけられる。

世界は、君にだけ与えられたものじゃない
――本書より引用
そうやって生きていくとね、大人になった時大変なことになるんだ
――本書より引用

子供の頃、彼は親に捨てられた。

そしてその体験は、東日本大震災のイメージと重なり、決して小さくはない恐怖として、心の奥底に刻まれているようだ。

震災のイメージ。僕達の風景は、僕達の心の準備など問題にしないタイミングで、いつでも一瞬で全く別のものに変容するんだ。……あの震災は、僕の中に、あの頃の無力な自分がいることを再認識させた。目を閉じてと優しく母に言われ、目を開けたら置き去りにされていた。広く残酷な世界でひとりで生きていくことの恐怖。
――本書より引用

捨てられた体験ゆえか、彼は「R」という内なる人格を抱えるようになった。

Rとの関係を「奇妙なデュエットみたいに姿も見えない存在」と表現する。

そんな彼は「紗奈江」という女性に導かれ、深みへとはまり込んでいく。

紗奈江について

新見は紗奈江と偶然知り合い関係を持つようになる。

ある日、新見は探偵を名乗る男から紗奈江に関する話を聞かされる。

  • 前の彼氏が行方不明であること。
  • 彼女は日置事件という未解決事件の生き残りであること。
  • 偶然を装って近づいてきた彼女は事前に新見について調べていたこと。

などなど。

そして探偵は新見の印象としてこう告げる。

小さい頃から、きっと歪んでいた、根本的に、相当に。そして大人になってから大変なことをする
――本書より引用

ん?どこかで聞いたような表現だ。

そして紗奈江は新見にこう告げる。

あなたに殺されれば、私の罪は消える
――本書より引用

彼女は事件の被害者遺族である。

罪とは何か?どんな罪を彼女は抱えているのだろうか。

日置事件について

美しい妻、嫉妬深いまじめな夫。その嫉妬はさまざまな形で家族を歪めていった。

家族の均衡が歪み始めると、その中で、最も弱い者にその重さがのしかかる。兄は当時14歳で、歪みの影響を受けやすい時期でもあった。
――本書より引用

紗奈江の兄は、彼女に性的な欲望をぶつけるようになる。

家族の歪みが沸点に達しようとしたとき事件が起きた。

密室で起きた一家殺人事件だった。

妻は全裸で折り鶴に包まれるように死んでいた。

その近くで夫、兄も死体となって発見された。

紗奈江は、
紗奈江は薬を飲んで眠った状態で発見された。

唯一の生き残りとして。

この事件を追いかけていたある弁護士は、この異様な事件を起こした犯人像についてこう述べている。

この世界において、密室という隠れた空間で、自己を100%解放して逃れ、また日常生活に戻った人間がいる。
――本書より引用

そう、犯人は不明のまま、この事件は迷宮入りした。

新見はこの事件に強く惹かれはまり込んでいった。

謎解き

子供の頃、新見は世の中で起こるさまざまな事件の犯人は、Rではないかと妄想した。

なぜならRは彼の負の部分すべてを請け負う存在だったから。

そして日置事件はまさにRが犯人であるべきと考えた。

なぜならその事件の暗さはまさに彼のそれと酷似している。

しかし大人になった彼からRは消えた。

そして今は紗奈江がいる。

彼は自分と紗奈江をこう表現する。

僕達は最高のデュエットだから
――本書より引用

当初、日置事件の犯人はRであるべきと考えた彼が、現在、消えたRの代わりに紗奈江とデュエットとなったと言うこの状態は、犯人が彼女であることを示唆しているように思える。

紗奈江は事件当時兄が睡眠薬をほしがり手渡したと言っていた。

また死にいたる薬の存在を、彼女は何度かほのめかしている。

子供の頃に見た、あの公園の巨大な風景を思い出す。僕はあちら側へ、あの残酷な世界の側へ行く。世界が人間に与えようとする、冷酷さの側へいく。僕はそれと一体化し、僕を凌駕する。世界の正体の中にいく。内面の傷など問題ではない。この世界は誰にとっても平等なのだ。誰が死のうと誰が生きようと、大したことなど何一つないのだ。
――本書より引用

ある日自殺を試みた彼女を前に、新見は彼女と深いところでつながりを感じ、生まれて初めて自己肯定感を得る。

だが物語の最後、紗奈江がコーヒーのコップを取り替える様を見て、ある考えが脳裏に浮かぶ。

彼女の幼い意識が、彼女の脳の迷宮の中に、兄の瓶を持ち替えた時の一瞬の記憶を押し込んでいるとしたら? 彼女は兄の欲望の強大な発露をそれを越えるほどの自然さと無邪気さで、自覚なく無意識に飲み込み始末した結晶ではないかと気付く。

この事件に引き寄せられたのは新見だけではない。

事件に関わり後に探偵となった刑事、弁護士、精神科医、ライターなどなど。

紗奈江の兄のように内面に暗部を抱えそんな自分を始末してほしいと願っている者たちだ。

紗奈江はこの世に生まれてきてしまったそんな悲しき者たちを導く存在で、日置事件は伝説的な儀式のように映る。

迷宮入りし、幾人もの迷える者たちを惹きつけたこの事件について、明確な答えを明かさぬまま物語は終わる。

拙いミステリに秀逸な文学を混ぜたような作品でありやや消化不良だが、表紙の絵はとても好きだし、あれこれ迷いながら夢想するのは楽しかった。


設定が似ているので思い出した作品

そういえば、阪神大震災後の混乱から謎多き女性と翻弄される男が出てくる作品をかつて読んだことを思い出した。

著者について

中村文則(なかむら・ふみのり)
1977(昭和52)年、愛知県生れ。福島大学卒業。2002(平成14)年、「銃」で新潮新人賞を受賞してデビュー。'04年「遮光」で野間文芸新人賞、'05年「土の中の子供」で芥川賞、'10年『掏摸』で大江健三郎賞を受賞。同作の英語版「The Thief」はウォール・ストリート・ジャーナル紙で「Best Fiction of 2012」の10作品に選ばれた。'14年、日本人で初めて米文学賞「David L. Goodis 賞」を受賞。他の著作に『悪意の手記』『最後の命』『何もかも憂鬱な夜に』『世界の果て』『悪意と仮面のルール』『王国』『迷宮』『惑いの森』『去年の冬、きみと別れ』『A』『教団X』がある。

中村文則公式サイト
http://www.nakamurafuminori.jp
――本書より引用

【読書感想】 迷宮 中村文則

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あらすじ

ある夕食会で出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十を過ぎた男が、すべてを捨てて挑んだことは――。ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラーの新訳。
――本書より引用

【読書感想】 月と六ペンス サマセット・モーム ー普遍的テーマを描いた100年前のベストセラー作品

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あらすじ

仕事場から見える「新宿」は、不気味だ。地下鉄駅に佇む「夕子」。蛇をポケットにしのばせる詩人。スピーカーを背中にしょって説教する男。そしてぬめぬめの「新宿シルクロード」を酒場に向かって無気力に旅する男たち―。「新宿」という街は、それら孤独や喧噪や疲労をものみ込んで、また立派な朝を迎えていく。虚実の間を鋭くかつ緩やかに描く現代の「都会の憂鬱」。椎名文学の一つの核ともいえる異色小説。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 大都会「新宿」を独特な文章で奇妙奇怪に描き出すエッセイのような私小説のような一作。
  • 豪快に世界中を駆け巡り大自然と冒険とビールが似合う男「椎名誠」のあまり知られていない一面に触れることができる。
  • うまいことハマれる人にとっては脳を激しく刺激する不思議なおクスリ効果があるかも。

【読書感想】 長く素晴らしく憂鬱な一日 椎名誠

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あらすじ

雨が降りしきる河原で大学生の西川が出会った動かないくなっていた男、そのの傍らに落ちていた黒い物体。圧倒的な美しさと存在感を持つ「銃」に魅せられた彼はやがて、「私はいつか拳銃を撃つ」という確信を持つようになるのだが……。TVで流れる事件のニュース、突然の刑事の訪問――次第に追いつめられて行く中、西川が下した決断とは? 新潮新人賞を受賞した衝撃のデビュー作! 単行本未収録小説「火」を併録。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 偶然拾った「銃」と対話し共に過ごしいつしか飲み込まれていく男を描いた文学作品。
  • 「ディティールこそすべて」と言わんばかりの淡々とした描写の連続がわたしのハートを鷲掴み。
  • デビュー作でこの作品を文学界に放り込んできた著者はやっぱ凄い。

【読書感想】 銃 中村文則

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あらすじ

恋人の美紀の事故死を周囲に隠しながら、彼女は今でも生きていると、その幸福を語り続ける男。彼の手元には、黒いビニールに包まれた謎の瓶があった――。それは純愛か、狂気か。喪失感と行き場のない怒りに覆われた青春を、悲しみに抵抗する「虚言癖」の青年のうちに描き、圧倒的な衝撃と賞賛を集めた野間文芸新人賞受賞作品。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家の初期決定的代表作。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

※以降はネタバレを含みます。
  • 文学色が濃厚な中村文則氏の初期の作品。
  • 本当の自分(あるいは意識)をまだ捉えきることができない揺れる若き青年の心情を鮮明に描いている。
  • その青年をひどく揺さぶるものは恋人の死であり、彼女の体の一部と共にさまよい続ける先に光はあるのか。

【読書感想】 遮光 中村文則

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あらすじ

謎の位牌を握りしめて、百合江は死の床についていた――。彼女の生涯はまさに波乱万丈だった。道東の開拓村で極貧の家に育ち、中学卒業と同時に奉公に出されるが、やがては旅芸人一座に飛び込んだ。一方、妹の里実は地元に残り、理容師の道を歩み始める……。流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の壮絶な人生を描いた圧倒的長編小説。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 何かと女性が生きづらい昭和の時代に輝きを失うことなく生き抜いた女性に焦点をあてた長編小説(404ページ)
  • 貧しい北海道の開拓村から始まった三世代にわたる女性たちを描いた大河小説でもある。
  • うっかり公共の場でラストを迎えたらさあ大変。私のように人前で号泣する姿をさらすことになる。

【読書感想】 ラブレス 桜木紫乃

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あらすじ

先端技術者としての仕事に挫折した長嶺亨は、山小屋を営む父の訃報に接し、脱サラをして後を継ぐことを決意する。そんな亨の小屋を訪れるのは、ホームレスのゴロさん、自殺願望のOL、妻を亡くした老クライマー……。 美しい自然に囲まれたその小屋には、悩める人々を再生する不思議な力があった。心癒される山岳小説の新境地。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 美しい奥秩父の山々、夏の訪れを告げるシャクナゲのお花畑、自然の魅力が盛りだくさんの小編連作。
  • 昨日まで他人同士であった人々の人生が山という特別な場所で交わるときに起こる感動を深く味わうことができる。
  • 都市部での生活や人間関係に疲れを感じてる人には最高の清涼剤になること間違いなし。

【読書感想】 春を背負って 笹本稜平

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あらすじ

東京を仕事場にする天才スリ師。ある日、彼は「最悪」の男と再会する。男の名は木崎――かつて仕事をともにした闇社会に生きる男。木崎は彼にこう囁いた。 「これから三つの仕事をこなせ。失敗すれば、お前を殺す。逃げれば、あの女と子供を殺す」  運命とはなにか、他人の人生を支配するとはどういうことなのか。そして、社会から外れた人々の切なる祈りとは…。大江健三郎賞を受賞し、各国で翻訳されたベストセラーが文庫化!。
――「掏摸」より引用
組織によって選ばれた「社会的要人」の弱みを人工的に作ること、それがユリカの仕事だった。ある日、彼女は見知らぬ男から忠告を受ける。 「あの男に関わらない方がいい……何というか、化け物なんだ」  男の名は木崎。不意に鳴り響く部屋の電話、受話器の中から語りかける男の声――圧倒的に美しく輝く「黒」がユリカを照らした時、彼女の逃亡劇始まった。世界中で翻訳&絶賛されたベストセラー『掏摸』の兄妹篇が待望の文庫化!。
――「王国」より引用

読書感想

読みどころ

  • 掏摸は西村というスリ師の男、王国は 鹿島ユリカという娼婦の女が謎の男、木崎と対峙する兄妹作品でそれぞれ共通する部分と異なる部分を比較しながら読むと楽しめる。
  • どちらにも登場する木崎という男は、2015年出版の同著者『教団X』の教祖を彷彿させる人物であり、教祖とか圧倒的な悪とか意味わからんかった、という人には、理解の助けとなる2冊。
  • それぞれ個別にストーリーが完結するのでどちらから読んでも楽しめる。掏摸は文学色が濃く、王国はサスペンス要素があり読みやすい。 

【読書感想】 掏摸 ・ 王国 <二作品> 中村文則