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『陪審裁判を考える―法廷にみる日米文化比較』 丸田隆 【読書感想・あらすじ】

2015/01/10

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概要

日本でも、昭和初期に15年間施行されたことがあるとはいえ、陪審裁判への不安や抵抗感は、未だ根強いといわざるを得ない。しかし、いまや、市民の司法参加という観点から、是非論を超えた陪審制度の検討が必要ではないだろうか。本書は日本の現行裁判制度の問題点を探りつつ、アメリカの陪審裁判の実際と比較し、さらに、かつて日本の陪審法がなぜ定着できなかったのかを、具体的な資料によって跡づけようとするものである。
――本書より引用
陪審裁判を考える 装丁

読書感想

日本で2009年に裁判員制度がスタートしたが、本作は1990年に出版された。

内容は1990年当時の日本の裁判状況、陪審裁判の歴史が長いアメリカの裁判状況、かつて日本に15年間行われた陪審裁判、日本に再度陪審裁判を復活させるための展望について説明したものである。

日本社会で暮らす以上、裁判員として参加する可能性がゼロではないと思いつつも、これまで幸いにも加害者、被害者になることなく暮らしてきた身としては、裁判は変わらず縁遠い存在と考えてしまう。

少しでも知識を入れようと手にとったのだが、大変興味深い内容であった 。

1990年当時、起訴された刑事事件の99.9%が有罪であり、自白が証拠として強い存在である日本において、裁判は自白を追認する手続きに近く、これが問題であるという。

99.9%という数字は、勝てない事件は検察が起訴しないことなど調べてみると色々と議論があるようだが、これは警察捜査が「自白」を主眼とする問題に寄った話であろう。

裁判制度の話として見ていくと、長年、法曹界の人間達の手によって作られた機能的な手続きとはいえ、仕事を効率化するのは良いが、判決という人生を左右する手続きが正しく機能しないとあればこれは問題である。

これら原因として裁判所の独立性、判検交流制度、裁判官の人事制度、行政有利の判決傾向などを論じているが、裁判官はどんな人間かというくだりで、1983年の資料引用のおもしろいものがあった。

最近の司法修習生の特徴として、つぎのような点が指摘されている。
「断片的な法律知識は豊富であるが 、これを真に理解しているとは言えず、自分なりに問題点を探求し、法律知識を応用して妥当な結論を導き出すという能力に欠け、とにかくその場その場を小手先の法律知識で取り繕い、なるべく『省エネ』で要領よく済ませようとする悪癖がある」(「資料修習生」『法律のひろば』四号、一九八三年)
――本書より引用

パソコン、インターネットが普及する以前の話しである。

思いがけない本での発見であったが、昨今問題となっていることの原因は、IT技術の外にあるようだ。

話が逸れた。

これに対し、1791年から長年陪審裁判を運用したアメリカはどうであったかを語っているのだが、陪審制の良い点ばかりがクローズアップされすぎているのが気になった。

あとがきで、著者が陪審裁判に関心を持ったのがアメリカでの体験に短を発しているとありなるほどと思った。

しかし、改善を重ねつつ今日まで運用されてきたことを思えばアメリカにおける陪審制に対する信頼は厚いのであろう。

余談だが、この章で紹介されている映画が大変興味深いのでメモを残す。

少年が父親をナイフで殺害したとして訴えられた事件について、陪審室で十二人の陪審員が議論する。

少年不利の証言が多い中、一人の陪審員が無罪を主張する。

もっと議論すべきと冷静に主張し、証人たちの証言のあいまいさを次々と指摘、合理的な疑いが大きくなり最後には ...

という話とのこと。興味深いので近々観てみたい。

著者は熱心な陪審裁判推奨者なのであろう日本の昭和初期に15年だけ陪審裁判が行われたことに触れ、終章でこれを復活させようと思いを語っている。

陪審裁判は明治憲法制定時に案があったという。しかし、裁判は天皇のものであり、裁きはお上が行うものとしてきた日本にそぐわないと判断され削除された。

その後、大正デモクラシーなど市民運動が盛んになり当時の裁判制度への批判と相まって日本陪審制度が1928年10月1日にスタートした。(10月1日「法の日」であるのは、 これに由来)

警察の自白に関する問題は、この時代すでに指摘されていたのが興味深い。

その後、わずか15年で運用が終わったのは、制度の不備が改まることは無かったこと、太平洋戦争終焉間近の状況下で、運用コストが高い制度をやっている場合ではなかったのが大きいようだ。

日本で裁判員制度がすでにスタートしているが(厳密にはかつての陪審裁判とは異なる)、制度に対し、明確な賛成・反対の意思はない。

しかし調べていると反対を強く主張する声が結構ある。個人的に法曹界の閉じた世界に、一般人の感覚を持ち込むことは良いと考える。

法律を駆使したり、事件を明らかにする能力は、私にはないし裁判員となる多くの人がそうであろう。

ただ、従来の裁判に対して違和感を覚える能力は、長く法曹界に身を置く者より長けているのではないかと思う。

その違和感が集約され日本の裁判の問題点を炙り出し、より公正なものへと変える方向に向かえば良いと思うのは甘いか。

折を見て現在の裁判員制度について良書を探してみる。

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