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『一気読み世界史』の概要

人類5000年の歴史を7時間で一気読み! 一気に読むから、流れがわかり、教養になる。 暗記不要。日本史、西洋史、文化史、経済史… 全部つなげてまるごと学ぶ、新しい教科書。 入門に、学び直しに、論述テスト対策にも。

『一気読み世界史』の感想と備忘録

感想・タイトルに偽りなしの一冊

「一気読み」とまではいかなかったが、私にしてはかなりのハイペースで読み終えることができた一冊。

本書の構成はいたってシンプル。

紀元前、人類がアフリカ大陸から大移動をはじめた「グレートジャーニー」から、直近の「新型コロナウイルスのパンデミック」や「ロシアによるウクライナ侵攻」までを、300ページ弱で一気に駆け抜ける。

受験生の読者を意識してか主なキーワードは太字で記載されているが、詳細は一切省略。詳しくは各々で調べよ、ということだろう。

タイトルの通り「世界史」を「一気読み」することに重きを置き、そのコンセプトが見事結実した一冊という印象だ。

学校では日本史西洋史中国史世界史などと分けて学ばれる歴史だが、本書にもある通り実際のところ我々人類の歴史というものはひとつしかない。

すべての時代のすべての場所で生きた人々はすべてに影響を相互に与えあって現在にいたっている。

この一方向にしか進むことができない時の流れにおいて、無関係のものなどは一つもない。

この感覚は、私たちが生きている現在の社会や生活を理解するうえで、絶対に必要なものである。と個人的に確信している。

なぜなら今の私たちは突然に出現したものではなく、私たちがこうであり、世界がこうであるのは、歴史という経緯と背景があるからだ。

これを子供のころに叩き込んでほしかった。年号暗記とか一番最後でいいだろう。

本書を読むにいたった経緯

ここからは本書の内容には関係が無い。

歴史に興味を持たれた方は本屋に走るなりショッピングサイトでクリック連打することをおすすめする。


今回、本書を読むにいたる経緯を未来の自分のために備忘録として記しておく。

今年に入ってから倫理学の本を読み始めた。

このあたりは後日、別途まとめる。(約束だぞ、自分)

倫理学では紀元前から現代にかけて多くの偉人たちが残した思想に触れることになる。

当然のごとく難解な単語や思想にぶつかるが、それは大した問題ではない。

私は21世紀の住人、知りたいことは光の速さで解決できる。ありがとうインターネット。

問題は、書かれていることが理解できたとして、「なぜそのような思考・思想に至ったか」が分らないことである。

ここが理解できないことには重要なエッセンスを取りこぼしてしまう。

何となくだが強く激しく猛烈にそう確信したのだ。

内容を理解したのに心に響かないことが不安だったのだ、たぶん。

なぜ響かないか?といえば、その偉人が生きている時代背景、つまり生活環境や価値観などが分らないから。

何より、知識としてだけでなく、感覚としてその空気間を想像できないことが大きい。

21世紀の人間には奴隷が当たり前であったり、人権がまだ生まれてなかったり、科学が存在せず宗教がすべてを説明した時代を、肌感覚で理解することはとてもむずかしい。

だが倫理学を学び自分の血肉にしたいという私の欲求は切実なものであり、この壁をなんとか越えたいと思った。

そこで「歴史」である。

無学の私はそれほど巡り会ったことはないのだが、世の中には歴史上の各時代を「感覚的にわかっている人」がいる。

紀元前のギリシアや中国が世界一の時代やヨーロッパが台頭してきた各時代の空気感を知識とイマジネーションの力で想起できている。そう思うのだ。

余談だが、そういう人に限って何でもお見通しの雰囲気を身にまとっている率が極めて高し、と思っている。

親も学校も国も教えてくれなかったなら自分でやるしかない。

まずはYoutubeやPodcastの受験生向けの歴史チャンネルなどを巡った。

そんな中で偶然みつけたのが「COTEN RADIO」だった。

COTEN RADIO | 歴史を面白く学ぶコテンラジオ | 株式会社COTEN

歴史を愛し、歴史を知りすぎてしまった歴史GEEK3人と、圧倒的歴史弱者がお届けする歴史インターネットラジオ。 学校の授業では中々学べない国内外の歴史の面白さを学び、「人間とは何か」「現代人の抱える悩み

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Youtubeでも配信しているが特に図や何か映像的に示されるものはないのでPodcastで第一回から全編を聴いた。

これが相当よかった。学びも多かったが何より配信者たちが楽しそうで聴きやすい。最新話までの道のりが苦でなかった。

この結果として、まっさらな荒野のごとくスッカスカだった私の脳内に歴史の断片が埋めこまれていった。

この断片を一本の線の上に整理したい。

求めるものには与えられる。

不思議なもので偶然テレビで本書の紹介を目にしたのだ。


単純に歴史を学んでいくのは余程の好奇心が無ければ難しいように思う。

私の場合は倫理学、その背景となる哲学、さらにその背景となる歴史、というつながりでこれからも歴史を深く学んでいきたいという動機づけがある。

学問は分化しているがすべては我々が生きるこの一つの世界線の軸でつながっている。

自分が興味のあるところから歴史へとたどり着き学んでみるのも一つの方法であるとおすすめしたい。

自分たちの背景を理解する人が増えれば世界はきっとよくなる。

そう信じて私もさらに学んでいきたい。

著者について

出口治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長。1948年、三重県美杉村生まれ。1972年、京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などをへて2006年退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年、ライフネット生命保険株式会社に社名を変更。10年社長、会長を務める。2018年1月より現職。訪問した都市は世界中で1200以上、読んだ本は1万冊を超える。『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『人類5000年史』シリーズ(ちくま新書)、『〇から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文芸春秋)、『全世界史 上・下』(新潮文庫)、『戦争と外交の世界史』(日経ビジネス文庫)など著書多数。
――本書より引用

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『一気読み世界史』 出口治明 【感想・レビュー】

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Photo by : お笑いナタリー

概要

M-1グランプリ(以降、M-1)で優勝経験が無く、出場資格である結成15年を越えたコンビ&グループのみが参加できる漫才師による大会「THE SECOND 〜漫才トーナメント〜」(以降、THE SECOND)について語る。

THE SECONDの参加資格はM-1グランプリと排他の関係である。

つまり、数ある漫才師の大会において最高権威として君臨するM-1のカウンターとして立ち上がった企画であることが透けて見える。

よって個人的な楽しみ要素としては、

  • 大好きな金属バットが土曜ゴールデン地上波で漫才することを祝う。
  • 漫才キングダムM-1との相違を観測する。

これである。

金属バットについて

第1回から毎週「金属バットの声流電刹」を拝聴し、昨年のラストイヤーはM-1決勝行くだろうと思いきや準決勝直前でコロナ罹患というドラマを経た経緯がある。

キラキラ地上波ゴールデンであってもお構いなし。

劇場での空気そのまま最高の漫才を見ることができ感無量だった。

そして、松本人志の「やっと見れて感動した」のひと言がさらに花を添えた。

この時点で9割は満足することができた。

「THE SECOND」と「M-1」の相違について

M-1グランプリにおける象徴は「審査員席」だと思っている。

あれがお笑い権威として君臨し、全漫才師はあの権威に向かって全力で漫才をし、報われた者たちは人生を変えることに成功する。

これは否定や批判ではない。

THE SECONDには「審査員席」が無い。

権威は解体され、観客席にいる我々と同じ一般市民が「おもろい」を決めるのだ。

笑いの決定権の委譲である。

国民国家形成以降の人類史と同じ現象がここにも出現したのだ。

そして権威オブ権威の松本人志は、番組を盛り上げる一人「まっちゃん」としてこの輪に加わった。

出場した漫才師と軽快に絡み、そしてボケて時にツッコむ。

ルールー上、避けることができない勝負の決定において、敗者へ向けるまっちゃんのまなざしはとにかく優しかった。

これまで観覧の一般客は笑い声を発することのみを求められる装置であった。

笑いの民主化は私たちに意志があることの可視化をもたらす。

かつての審査員同様、私たちにもおもろいの基準があり、得手不得手はともかくそれを言語化し伝えたい意志がある。

THE SECONDはこの意志の存在を番組に必要な要素として採用している。

まっちゃんが懸念を示したマシンガンズのメモ用紙を市民が受け入れた場面はそのハイライトのひとつではないか。

ついでに決勝のマシンガンズは漫才師とは人間であることをこれ以上ない形で表現していた。

歴史が証明しているとおり、意志的な参加者が多ければ多いほど熱狂は高まる。

そして熱狂は奇跡を演出するに不可欠な要素である。

まっちゃんが元気玉ならぬ笑い玉と評したギャロップのあれ。

4分のフリで宇宙スケールに拡張した渾身のボケという名の笑い玉は、熱狂の頂点にある私たちを恍惚へと導いたのだった。

4時間という長丁場であったが、制作、演者、観覧者、視聴者すべての関係した者たちがフラットに関係することができる新たな文化の萌芽を感じる体験だった。

繰り返すが、M-1との相違に着目したのは否定や批判が目的ではない。

THE SECONDが良かったからM-1は駄目だと思考するのは愚かである。

漫才師の魅力を全国に広げるためにM-1の歴史は欠かせないものであったであろう。

また新たな試みが権威を崩すプロセスは拡張および継続に欠かせない。

伝統芸能に片足を突っ込みつつある漫才が、また新たに裾野を広げていくことはファンにとってこれ以上ない喜びであると信じている。

※追記:2023/05/23

マシンガンズのメモ用紙の箇所について、採点後にまっちゃんの指摘がされたのが正確なところであり、私の指摘は誤りであった。訂正ないし削除を考えたが、誤った記載をした事実と後から気づいた事実を併記しておくことが「記録」として価値があると考えこの形とした。

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余談:しゃべくり漫才の熟成について

参加資格を結成15年とするM-1グランプリにおいて、新たな発明を得意とするいわゆる関東芸人が有利な傾向を感じている。

また傾向対策により競技ハックが常識となりつつある。

今回のTHE SECONDを見て、しゃべくり漫才というものは、15年では成熟しない芸能であることを改めて思った。

キャラ要素を排し、板の上で人生を土台に笑かす芸は15年では短すぎるのかもしれない。

予選もそうだったか、今大会に参加した漫才師はいずれも分厚かった。

そして、その分厚さはしゃべくり漫才において欠かせない。

生涯をたすける芸でありながらM-1では支えきれなくなってきたしゃべくり漫才の新たな基盤としてTHE SECONDが続いていくことを願う。

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『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜』を視聴した感想【日記】

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Created by : Bing Image Creator

近頃はめっきりアプトプットという行為から縁遠い日々を送っている。

仕事においてはこれまで会得したスキルの範囲内で淡々とこなし、個人においてはこのブログなど日々感じたり思考したことを言語化する活動をすっかりさぼっている。

強制される機会も無ければ欲求も減退している。と感じている。

身体的なことで言うと歳のせいかもしれない。

心理的な面で言うと、あまりに良好過ぎて何もする必要がなくなってしまっているのかもしれない。

幸福追求が人間の目的であるとするならば、これは良いことだ。

だがこれでいいのか?とぼんやりとした焦りがある。

こうまで穏やかな日々は、わたしの人生において初めてのことで「慣れていない」ということがひとつ。

そして体験がもったいないというどうでも良い理由がもう一つだ。

日々のなかで感じたり思考したことは時間とともに記憶から消えていく。

それをそのまま受け入れ生きること、それはきっと囚われから解放された良いことなのだと思う。

頭では思うのだがまだ執着があるのだろう。

焦りがぼんやりとある。

インプットは近年まれにみる量と速度で行っている気がする。

言語習得は慣れてくると楽しさと学習スピードが指数関数的に増加する。

ドイツ語学習はすっかり習慣化し、耳が慣れ語彙が増え、ふと目にした記事が理解できたりするととても楽しい。

そして倫理学。

重い腰を上げ、今年ようやく入門書を読んだところで火が付いた。

読んでいく過程で気になった時代背景や経緯となる哲学を調べていくと知りたいことが爆発的に増えてしまった。

倫理に登場する単語や論理は無学の私にとって難解きわまるものが多い。

21世紀は素晴らしい時代で「知りたい」をすぐに実現できる。

原典をどれだけ頭をひねっても分からないとき、別の角度からの理解を示してくれるコンテンツがインターネットの世界には無限に広がっている。

「ここみらいチャンネル」という高校倫理の受験対策を指南するYouTubeチャンネルはとてもありがたかった。

ここみらいチャンネル - YouTube

そして、歴史の知識は欠かせないと強く感じた。

紀元前100年頃、とか15世紀頃、という数字から、パッと感覚的に当時の世界の状況を思い浮かべることができるかどうか。

この感覚があると倫理学のみならず様々なモノコトへの理解の深さと広さに差がつくと痛感している。

知識というより感覚。

各時代の雰囲気、文化や倫理観などが想像できること。

「COTEN RADIO」というポッドキャストをイチから聞いており、これはこの感覚を養う大きな助けとなっている。

COTEN RADIO | 歴史を面白く学ぶコテンラジオ | 株式会社COTEN

そして、脳内に断片化した歴史情報を一気通貫した整理を行うために「一気読み世界史」という本を読んでいるところ。

一気読み世界史の通販/出口 治明 - 紙の本:honto本の通販ストア


いまは知りたい欲求が爆発していてアウトプット欲求が減退している、そういうことにしておこう。

ぼんやりとした焦る思いはそのままに、いまはとにかく知りたいを満たしていこう。

【日記】アウトプット欲求の減退にまつわる最近のこと

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本記事の目的

  • Fcitxのバージョンを4から5にアップデートしたところ、neovimでインサートからノーマルにモード変更する際に自動でIMEをオフ(半角英数)にする処理が動作しなくなった。
  • 原因と対処を備忘録として残す。

環境

OS

  • Ubuntu 22.04LTS

関連パッケージ

  • Fcitx 5
  • neovim 0.8.3

事象

  • UbuntuのOSアップグレード(20→22)に併せ、インプットメソッドアプリとして使用しているFcitxのバージョンも4→5にアップグレードした。
  • neovim(vimでも同様の事象)でインサートモードを抜ける際に、自動でIMEをオフにする処理が動作していないことに気づく。
  • 本処理はinit.vimに設定したスクリプトによる。

原因

  • IMEをオフにする処理はFcitxに含まれるコマンドラインツール「fcitx-remote」を使用している。
  • Fcitx5では、このコマンド名称が変更されたため修正する必要がある。

対処

init.vimの該当箇所を以下のとおり修正した。

修正まえ

if has('unix')
  inoremap <silent> <Esc> <Esc>:call system('fcitx-remote -c')<CR>
endif

修正あと

if has('unix')
  inoremap <silent> <Esc> <Esc>:call system('fcitx5-remote -c')<CR>
endif

修正は fcitx-remote を fcitx5-remote へと「5」を追加しただけ。

if has('unix') は、個人的にinit.vimをWindows環境と併用するために記述しているのでunixのみの環境であれば不要。

まとめ

fcitx-remoteが動作していないと気づきターミナルで直接実行すると存在しないと言われ、Fcitx5でコマンドツールが消えたのか?と思って調べまくったがあまり情報がなかったので備忘録として残すことにした。

参考サイトにバージョン4と5に分けて説明があったおかげで理解できたのでたいへんありがたかった。

色々な経緯を経てのこととは思うが、なぜコマンド名を変えた?という思いはぬぐえない。

参考サイト

Fcitx5はfcitx-remoteのコマンド名が変わるので注意【Ubuntu・Neovim】

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本記事の目的

  • Neovimのバージョンを0.7.2から0.8.3にバージョンをあげたところ、コピーした日本語テキストが文字化けする事象が発生した。
  • 原因と対処を備忘録として残す。

環境

OS

  • Windows11 Pro 22H2

仮想環境

  • WSL2 & Ubuntu22.04LTS

アプリケーション

  • VSCode 1.76.2

VSCode拡張機能

  • VSCode Neovim 0.0.97(拡張機能)
  • Visual Studio Code WSL 0.76.1

その他

  • Neovim 0.8.3(Ubuntuにインストールしてある)

事象

  • WSL-Ubuntuより起動したVSCodeで日本語を入力しコピーまたはヤンクしたテキストが文字化けする。
  • VSCode上で入力したテキストをWindows上で直接起動したブラウザ等にペーストする作業で発覚。
  • エディタ上でヤンク&ペーストを行った場合も同様に文字化けする。
  • 前後の環境変化として思い当たるのはNeovimのバージョンをあげたこと(0.7.2→0.8.3)。

原因

  • VSCodeのエディタは、拡張機能によりWSL-UbuntuにインストールしたNeovimの仕様が反映されている。
  • NeovimのレジスタとWindowsのクリップボードを連携するためinit.vimに設定を書いている。
  • この設定を削除しエディタ上でヤンク&ペーストすると文字化けしない。
  • よって、レジスタからクリップボードにデータが入るところで文字化けが発生していると結論した。

対処

レジスタとクリップボード連携のスクリプトを以下のとおり修正した

修正前

if system('uname -a | grep microsoft') != ''
  augroup myYank
    autocmd!
    autocmd TextYankPost * :call system('clip.exe', @")
  augroup END
endif"

修正後

let g:clipboard = {
  \   'name': 'myClipboard',
  \   'copy': {
  \      '+': 'win32yank.exe -i',
  \      '*': 'win32yank.exe -i',
  \    },
  \   'paste': {
  \      '+': 'win32yank.exe -o',
  \      '*': 'win32yank.exe -o',
  \   },
  \   'cache_enabled': 1,
  \ }

もしNeovimオンリーでインストールしている場合は手動でwin32yank.exeをインストールする必要がある。

詳しくは以下記事を参照。

FAQ · neovim/neovim Wiki · GitHub

まとめ

Neovim0.8のリリースノートをざっと眺めてみたが、わたしでは原因特定に至らなかった。

公式では今回の修正した設定をアナウンスしているので結果的に良しとしたい。

参考サイト

Neovimを0.7.2から0.8.3にバージョン上げたらクリップボードのテキストが文字化けする【WSL2-Ubuntu】

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あらすじ

村の娼婦だった母の子として生まれたトビアス。ある事件を契機に名前を変え、戦争孤児を装って国境を越えた彼は、異邦にて工場労働者となる。灰色の作業着を身に着け、来る日も来る日も単調な作業に明け暮れるトビアスのみじめな人生に残された最後の希望は、彼の夢想の中にだけ存在する女リーヌと出会うこと……。傑作『悪童日記』三部作の著者が、みずからの亡命体験をもとに幻想と不条理を交えて綴る不可能な愛の物語。
――本書より引用

読書感想

著者「アゴタ・クリストフ」のデビュー作『悪童日記』から始まる三部作の後、1995年に発表された作品。

三部作は以前こちらに感想を書いた。

『悪童日記』 アゴタ・クリストフ 【読書感想・あらすじ】 | neputa note

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アゴタ・クリストフ作品には彼女の人生が色濃く反映されている。

よってまずはある程度の背景を把握してから読むことをおすすめしたい。

または彼女の自伝である『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』を読んでみるのもよいかもしれない。

アゴタ・クリストフの背景

1935年ハンガリーに生まれた彼女は21歳の「ハンガリー動乱」から逃れるため夫、娘と共にオーストリアを経由しスイスへと移住した。

ハンガリー動乱(ハンガリーどうらん)とは? 意味や使い方 - コトバンク

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - ハンガリー動乱の用語解説 - 1956年 10月にブダペストの学生,労働者のデモをきっかけとして起り,約2ヵ月間続いた暴動。ポーランドにおける十月政変に刺激さ

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この移住は国家間の争いに翻弄された結果であり、本人が望んだものでは無かったことは想像に難くない。

そして言語が異なる国へ移住することは母語との別れを意味する。

スイスのフランス語圏で暮らすことになった彼女は、必然的にフランス語話者となることを要求される。生きていくために。


海外で暮らしたい、だから英語を学びたい、といった前向きな話しではないのだ。この人生の転機は「喪失」を意味するのだろう。

自伝で彼女は「フランス語は私の母語を殺し続けている」と語っている。

だが皮肉にも、母語を殺すフランス語によって彼女は名作を生み出すのだ。


残念ながら、わたしはフランス語がわからない。実際の原書のニュアンスまでは理解することはできない。だが翻訳書である本作品の文体に大きな特徴を感じる。

どこかぎこちなく、ぶつ切り気味の文体は非常に個性的であり、作品を輝かせる要因のひとつである。

だが、彼女がほんとうに書きたかった文章は、動乱により失ってしまった母国語であるハンガリー語によるものだったのだろう。

この意図しない状況は、文体はもちろん作品内容にも大きく影響を及ぼしている。

『昨日』の感想

わたしにとって本作は「悲恋の物語」だ。

悲恋といっても、そのひとつひとつは多様であり、本作におけるそれは非常に特徴的である。

特徴づけるものの一つとして、「アイデンティティ」は欠かせない要素であろう。


主人公である「トビアス」の少年時代から物語は始まる。

彼の少年期はこの世の不幸を凝縮し固めたようなものだ。

トビアスと二人暮らしの母親は村で娼婦として生活の糧を得る。

狭いコミュニティ、この境遇。多感な時期にこの条件である。たいそう肩身の狭い思いをしたことだろう。


そして実の父はトビアスが通う学校の校長。権威と不貞、端的に言って「クソ野郎」。

輪をかけて悲惨なのは校長の娘が同じクラスメイトであること、そして彼の境遇に同情していることだ。

このような状況下では正気でいることの方がむしろ狂気である。

トビアスの少年期は壮絶な事件により突然の終焉を迎える。

隣国に逃れ、半ば強制的に自立した人生を始めざるを得なくなった流れは著者の人生とそのまま重なる。


夢遊病者の浮遊感と直視しがたい現実に対する激しい葛藤をない交ぜにしたようなトビアスの日常描写はアゴタ・クリストフの大きな才能を感じるところである。

現実の生々しさと寓話のような夢世界がひとつになったと言うか、表現がむずかしい。


登場する人物はみな個々が抱えるゆがみの部分が特徴的に描写される。

ピカソの抽象画のように鼻だけが大きかったり、左右の手の大きさが極端に異なる人びとがいる世界。

この不可思議な感覚をもたらす文章はある種の快感である。

と同時に、物語の生々しい現実感を抽象化する必然性が著者の壮絶な人生にあることを思う。

外国に逃れ、名を変え、外国語で生きるトビアスが繰り返す祖国に帰るか否かの問いは著者自身のアイデンティティへの葛藤に重なる。


人生が破壊され大きな喪失によって本作のような珠玉の芸術作品が生み出されたことの複雑な因果を前に、わたしはただ茫然と感情を処理しきれずにいる。

ただ、アゴタ・クリストフという偉大な作家が生きた証として残した作品が多くの人の手に届くことを願ってやまない。

余談・本書を読むキッカケ

個人的な備忘録を。


三部作を読み終えてから9年もの時をおいて本作を手にとるには明確なキッカケがあった。

2年前に亡くなった、わたしの妹の遺品のひとつだからだ。

長きにわたり互いの詳細など知らずに生きてきたが、偶然にもアゴタ・クリストフの作品を読んでいた。

明確な理由は見つけることはできなかったが、わたしはそれを持ち帰り保管した。

気もちの整理がつかぬままいたが、2度目の命日を前に読むことにした。

いつか読むかもしれない、と思っていた三部作以外のアゴタ作品を、このような形で読むことになるとは。

読んでいるあいだ、これを手に読んでいたであろう妹は何を思ったのか。

ぜひ聞いてみたいと強く強く思った。

著者・訳者について

アゴタ・クリストフ
アゴタ・クリストフは1935年ハンガリー生まれ。1956年のハンガリー動乱の折りに西側に亡命して以来、スイスのヌーシャテル市在住。1986年にパリのスイユ社から世に送り出したフランス語の処女小説『悪童日記』によって一躍脚光を浴び、その後、続篇の『ふたりの証拠』(88)、『第三の嘘』(91)を発表して三部作を完成させ、力量ある第一級の作家としての地位を確立した。これらの作品は世界20カ国以上で翻訳され、数多くの熱心な読者を獲得した。日本では1991年に『悪童日記』が翻訳出版されると、読書界に衝撃と感動の渦が巻き起こり、多くの文学者・作家・評論家から絶賛の声が寄せられた。著者が来日した1995年に発表された本書も大きな反響を呼び『怪物』『伝染病』の戯曲集も相次いで刊行された。2006年には自伝『文盲』が翻訳され、話題となった。
――本書より引用
堀 茂樹
1952年生、フランス文学者、翻訳家
訳書 『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』クリストフ
『シンプルな情熱』エルノー
(以上早川書房刊)他多数
――本書より引用

『昨日』 アゴタ・クリストフ 【読書感想・あらすじ】