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『廃用身』 久坂部羊 【読書感想・あらすじ】

2018/02/02

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あらすじ

廃用身とは、脳梗塞などの麻痺で動かず回復しない手足をいう。神戸で老人医療に当たる医師漆原は、心身の不自由な患者の画期的療法を思いつく。それは廃用身の切断だった。患者の同意の下、次々に実践する漆原を、やがてマスコミがかぎつけ悪魔の医師として告発していく――。『破裂』の久坂部羊の、これ以上ない衝撃的かつ鮮烈な小説デビュー作。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 老人介護医療という社会性の強いテーマを架空の医療手段と併せて展開し、その問題の本質に迫ろうと試みる。
  • デイケアクリニック院長による「手記」と出版編集者による「編集部註」で構成された1冊の書籍、という本書の体裁は、ノンフィクションを読んでいるかのような効果をもたらす。
  • 医療現場の生々しい実態と驚きの医療手段を経て大きく展開するストーリーはまさかの結末にいたる。

※これ以降はネタバレを含みます。

廃用身とは

「廃用身」という言葉をご存知でしょうか。
 介護の現場で使われる医学用語で、脳梗塞などの麻痺で回復の見込みがない手足のことです。
――本書より引用

このような出だしで本書は始まる。

聞きなれない言葉だったので、読後に「医学用語辞典(日本医学会)」や、一般的な辞書に目を通してみたが見当たらない。以前読んだ『無痛』という作品でもリアルな医学用語を造語として登場させていたこともあり、もしかしたら「廃用身」も同じく著者による造語なのかもしれない。

無痛 久坂部羊 (幻冬舎文庫)ー あらすじと感想 | neputa note

あらすじ 神戸の住宅地での一家四人殺害事件。惨たらしい現場から犯人の人格障害の疑いは濃厚だった。凶器のハンマー、Sサイズの帽子、LLの靴跡他、遺留品は多かったが、警察は犯人像を絞れない。八カ月後、精神障害児童施設の十四歳の少女が自分が犯人だと告白した、が……。外見だけで症状が完璧にわかる驚異の医師・為頼が連続殺人鬼を追いつめる。 読みどころ 刑法第39条や先天性無痛症など現実にリンクする要素と、医学的知見に基づいた観察により犯罪を予見する医師というフィクションによる医療ミステリ長編。一家殺人、通り魔、ストーカー、誘拐、人体解剖、人体実験、無認可治験など、これでもかと言わんばかりに詰め込まれた現代を表す犯罪の数々が生々しく描写されている。フィクションという手法で、社会を守る刑法や医療の矛盾を突く実験的なストーリーでもある。

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本書の体裁

前半は「漆原糾」(うるしはらただす)というデイケアクリニック院長による手記、後半は編集者「矢倉俊太郎」が綴ったその手記に対する編集部註となっている。最後のページには奥付まで用意されており、あたかも実在するノンフィクションの手記であるかのような作り込みが施されている。

現代の日本社会における状況とリンクする作品テーマをよりリアルに印象付ける効果を狙ったと思われ、その試みは大いに成功している。

前半の手記について

この手記は廃用身切断(通称「Aケア」)の重要性、必要性を訴えるためのものである。

※「A」は「amputatio(アンプゥターティオー)」の略

漆原という医師は非常に誠実な人物であり、その丁寧な語り口からは、医療介護現場における問題の深刻さがひしひしと伝わってくる。限られたリソースで対応を迫られる現場において、麻痺を伴う四肢は介護者・被介護者双方に大きな負担をもたらすという。

だが「廃用身の切断」その行為単体を突き付けられた場合、多くは拒否的な反応を示すだろう。一切の決めつけや押しつけを排し、患者や周囲の者たちが救われていく様子を淡々と記した文章は、「切断、悪くないかもしれない」といった印象を強くする。

動かなくなった四肢を切断する行為が正当化された場合、どんな考えが浮かぶか。この手記では手足を失った老人たちが生き生きと活動する様子が描写されている。その様子は、素晴らしい光景だろうか、あるいは異様な光景だろうか。

五体満足であることが正常で、手足がないのはあるべきものが欠損した異常な状態であると、無意識に思っている人は多いのではなかろうか。少なくとも、この描写に違和感を感じてしまった私はそうであったと告白しなければならない。

私のような者が感じる違和感というのがより強くなると、それは拒否感に変わる。漆原医師とAケアという新たな医療手法は、人々が抱くこの拒否感によって大きく追い込まれる。それが後半の「編集部註」で語られる。

編集部註について

先にあげた『無痛』でもそうだったが、著者は物語を破壊的に展開する傾向を感じる。後半を読み始めると、前半の手記は、完全に伏線を固めるだけのものだったのかと印象が変化した。

後半は「編集部註」の体裁でありながら、「Aケア」と漆原医師がスキャンダルに晒され、見る影もないほどに追い込まれていく物語を解説したものとなっている。つまり、手記が公表される前に、先に述べた人々の拒否感をあおるような形でマスコミにスクープされてしまうのだ。スクープを抜いたのは物語上の雑誌「週間文愁」という雑誌。「文春砲」ならぬ「文愁砲」といったところか。

世間が抱く四肢切断に対する強い拒否感と、漆原医師が提唱するAケアの意義が、真っ向からぶつかり合う形だが、話は完全に世間の圧勝となる。それ故に、前半で脳内を占めていた、老人介護医療に対する問題の重要性などといったものは、ほぼほぼ霧散してしまう結果となった。もう少し互角な戦いを展開してもよいではないかと思うのだが、そんな思いもむなしく、「廃用身」「Aケア」を通じ想起された問題意識は、容赦なく徹底的に破壊される。

まとめ

いまこうして感想をまとめながら気づいたのだが、この作品の焦点が老人介護であるとの見方が間違っていたのかもしれない。

我々世間一般というものは、マスコミの取り上げ方ひとつで物事の本質や、どんな可能性をも叩き潰してしまうのだという、厭世的な話しだったのではないか。読後の印象は完全にそちらが勝っている。(まあそんなはずは無いとは思うのだが)

前半の手記はSFのような展開もあるのではないかと期待させる趣もあり興味深かった。だが「四肢を切り落とすなんてけしからん!」というのが、結局は現実的なのかもしれない。

著者について

久坂部羊 Kusakabe Yo
大阪府生まれ。大阪大学医学部卒業。医師。二〇〇三年、本書で作家デビュー。〇四年、第二作『破裂』がベストセラーとなる。
――本書より引用

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