『山に生きる人びと』 宮本常一 【読書感想・あらすじ】

2018/06/01

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あらすじ

山には「塩の道」もあれば「カッタイ道」もあり、サンカ、木地屋、マタギ、杣人、焼畑農業者、鉱山師、炭焼き、修験者、落人の末裔…さまざまな漂泊民が生活していた。ていねいなフィールドワークと真摯な研究で失われゆくもうひとつの(非)常民の姿を記録する。宮本民俗学の代表作の初めての文庫化。 ◎解説=赤坂憲雄
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 農耕が広がり日本史が始まる遥か昔から、日本の山に生きる人びとがいた。彼らの歴史を解き明かすべく綴られた貴重な記録集。
  • 民俗学者である著者は文献を紐解くとともに、自ら足を運び、いまに伝わる残された痕跡を丁寧に拾い上げている。その情熱と探究心に圧倒される。
  • 目まぐるしく変化を遂げてきた平地での暮らしとは異なり、山の中ではゆったりとした悠久の時がいまに続いている。人間らしいとは何か、あらためて考えさせられる一冊。

山に生きる多様な人びと

この国には大昔から山の中で暮らす人びとがいた。彼らはいかにして山中で暮らすようになったか。またどのような生活様式をもっていたのか。著者はさまざまな文献を紐解くとともに、その足でもって実際に見聞きした体験を交え、思索を深めてゆく。

いにしえの道跡が日本国中に残っている。それらを辿ると昔の人びとの生活が浮かび上がってくる。

山に残された道

まずは「獣道」。ウサギ道、シシ道とも言う。読んで字のごとく、獣たちが踏みならし作られた道である。奈良、熊本宮崎ではウチ、ウジと呼ぶ。

お茶のイメージしかなかった京都宇治の町。「粉河寺縁起絵巻」なるものに、「ウジ待ち」という狩りが記録されていることからこの名前になったそうな。

また人びとの暮らしに塩は欠かせない。では山で暮らす人びとはどうやって塩を手に入れたのか。

塩を運ぶ「塩の道」がいまに伝わる。木材を川を下だって海に運び、そこで塩を焼く。あるいは海辺で暮らす人が焼いた塩と木材を交換する。山形県の鶴岡では町へ出す薪を「塩木」と呼んでいた。これはおもしろい。

では海に流れ出る河がない土地はどうか。


灰を持って出たという話もある。昔は若い雑木を焼いた良質の灰は高い値が着いた。紺屋で染色の色留めに使ったり、麻の皮のアクぬきに使う。灰の良し悪しは舐めてみるとわかるそうで、竈の灰などをまぜるとすぐ見破られたそうだ。いつの時代も悪知恵はあるものだ。

カッタイ道というものもある。「レプラ患者」が人と顔を合わせぬよう、山中の険しい道を通っていたことからそう呼ばれているそうな。これは悲しい歴史だ。

農耕により二極化した平地と山の暮らし

さまざまな土地で、それぞれの異なる目的のために山中を歩く人々がいたことはわかった。では本書のタイトル「山に生きる人びと」の、そもそもの成りたちはいかなるものであったか。俄然興味が湧いてくる。

そもそもの始まりのひとつ手前の話が記されている。岡山県加茂川町円城というところの、鎌倉時代にかけての話だ。

まず現代における町の原型につながる話。古く狩猟民の居住したと思われるところに天台宗の寺ができ、つぎには畑・水田などがひらかれて荘園が発達し、さらに武士も在住するようになってきた

そして山中の集落について。すでに一〇世紀ごろから山地にとくに水田耕作を主体としない居住者のあったことは興味深いことであり、しかもこのような村が中国山地には相当数にのぼって見かけることができる。そしてそういう集落をつなぐ道も多くは尾根を通っている。

彼らは水を汲み上げる苦労を負いながらも、山中に畑を作り道をつないで暮らしていたという。結果として平地で暮らす者よりも貧しい生活となり、一般農民より一段低く見られていた話もあるという。

職業化が進む人びと

なぜ彼らは山に入ったか。

著者は、山にある木や草を生活用具として利用しようとした人、銅・鉄のようなものを掘って歩いた人たちなど、いろいろある中で、もっとも古いのは、野獣を追って歩いた人びとの歴史ではないかと思索する

縄文時代の終わりまで続いた狩猟や採取を主とした生活が、やがて農耕が盛んになってきても、なお原野や山地で野獣を追う暮らしに留まる者がいた可能性はある
彼らは農作物を鳥獣害から守るなど職業化していった痕跡が、今昔物語の中にもあるという。
話の中で彼らは、「獣の肉を食う」「頭髪が長くて汚い」などといった、下に見た表現で記されているようだ。

農耕を発展させていった人びとは、やがて文明を開き朝廷をつくるなど、現代の社会生活につながる歴史を紡いできた。その一方で山に残った者たちは、目まぐるしい変化を遂げる平地の人びととは異なり、古くからの慣習を守りながら独自の生活を続けていたのかもしれない。そこには少なからず断絶が生れたとしても不思議ではない。

山で暮らす人びとを、平野の農民たちが山賊と理解していた地域もあるという。狩人として職業化する一方で山を越える旅人を案内したり警護をするなどの接触はあったそうだ。

このような話はいくつか聞いたことがある。黒部の山道を切り開く際に伊藤が黒部の山賊たちの力を借りた話や、それまで未踏峰とされていた剱岳の測量の案内人などがそうだ。

木を扱う人びと

また山で暮らす人びとには、狩人のほかにも杣人という、木材の伐採運搬技術に秀でていた群衆があったとのこと。奈良時代には国家プロジェクトとして数多くの寺が建立された。寺院建立には莫大な量の木材を必要とし、柱となる大木を発見、伐採、運搬を行うには相当な技術を要する。これを担ったのが杣人であり、当時は飛騨地方から多くの杣人が徴用されたという。

杣人に続いて語られるのが木地屋という人びと。木材を加工して椀などの生活道具を作り出すものたちで、彼らは明治の頃まで大名が存在した時代に決められた役所からの命令に従い木を伐り木地ものを引いていたという。この話は、やがて彼らが会津を経て東北地方に散り、「こけし」が広がっていく話につながり読んでいて大変興味深い。

この木地屋の暮らしぶりはロマンを感じる。山七合目以上は山麓の村びともほとんど利用しないため、木地屋は自由にできたという。そうなると彼らは山から山を自由に渡り歩き、「木地に適する立木のあるところを見つけると、住居に適当な場所を見つけて小屋掛けをする」といった具合だ。「山上の遊牧生活」とでもいう具合で、実際は厳しいことも多いであろうが、下界の変遷激しい浮世とは距離を置く彼らの暮らしにロマンを感じるのである。

落人、山岳信仰など

本書の中盤からは、政治や武力の世界で破れた者たち、つまり落人を起源とする山に生きる人びとが綴られている。これはかなりボリュームがあり、読み応えがある。

また忘れてならないのは、大陸から仏教が入ってくる以前から山には山岳信仰が存在し、現代まで形を変えながらも続いている場所が複数残っている。

先日、偶然NHKのあさイチで東京の奥多摩にある「御岳山」が紹介されていた。この山の集落には神主たちが直々に雅楽を演奏し奉納する様子が紹介されていた。彼らのルーツを辿っていくと、本書に紹介されていた山岳民俗へとつながるのではないかと興味深く視聴した。

ちなみに「御岳山」は「東京のマチュピチュ」と呼ばれているそうだ。

読んでみて思うこと

いわゆる「日本の歴史」として広く知られる話の外側に、山の中でひっそりと続いてきたもうひとつの悠久の歴史が存在した。その事実に人間本来の暮らしをあらためて考えさせられる。

山にまつわる本

個人的に山好きであるということもあり、これまで少ないながらも「山にまつわる本」をいくつか読んできた。簡単に紹介をしているので、興味がある方はのぞいてみていただけると嬉しい。


【作品紹介】 「山」にまつわる本 ~小説、ノンフィクションなどなど | neputa note

突然ですが、「山」は好きですか?遠くから美しい山の稜線を眺めたり、一歩ずつ足を踏み入れ頂上を目指したりと、いつからか私はすっかり山の虜になってしまいました。もとはと言えば、身近に登山をする人がいたことや、『岳』という山岳救助がテーマの漫画を読んだことがキッカケでした。そして、あちこちの山へ足を運ぶようになるのと同時に、もともと読書好きな私にとっては自然な流れで「山にまつわる本」を探し求めるようになりました。登山をする方はすでに知っているものが多いかもしれませんが、何か自然あふれる本を読みたいと思っている方の参考になるかもしれない、と信じ紹介してみたいと思います。


著者について

中村文則 Nakamura Fuminori
1907年、山口県周防大島生まれ。民俗学者。天王寺師範学校卒。武蔵野美術大学教授。文学博士。徹底したフィールドワークと分析で、生活の実体に密着した研究ぶりは「宮本民俗学」と称される領域を開拓した。1981年没。著書に『忘れられた日本人』『家郷の訓』『塩の道』『庶民の発見』『民俗学の旅』『宮本常一著作集』など。
――本書より引用