『午後』 フェルディナント・フォン・シーラッハ - 酒寄進一 訳 【読書感想】
初稿:

『午後』の特徴
シーラッハ作品は書籍であるが、読むというより摂取するイメージの方が近い。
しかもそれは、「昨晩もシーラッハをキメてましたよガッハッハ」と公にするのが憚られるような行為だ。
本作は、以前読んだ『珈琲と煙草』のようなエッセイ集の雰囲気がある。
タイトルのない26の短編からなる作品は、ある作家によって語られる。
その作家の特徴はまさにシーラッハそのものであり、これはエッセイだと無意識に感じるも、多分にフィクションの気配もある。
その語り手が出会う人々の口から語られる物語は、どれもが人間の内面の奥深くい部分に触れるものだ。
ゆえに、これはフィクションだろう、フィクションであってほしいと思うのだが、エッセイのような作品の構成が、いやいやこれは現実だよと訴えかけてくる。
かと思えば、めずらしく語り手の内面に触れる物語もある。これはシーラッハの人間性や思想を表すものではないかと思うのだが、それもまた分からなくなる。
自分の内側にある悪意
シーラッハは悪趣味な話を好むと思う。そう思うというのはつまり、簡潔なシーラッハの文章から、そういう印象を読み取った私自身の内面にその傾向があるからだ。
裁判の速記録のような、無味無臭な事実を列挙したような硬い文章から様々なことを読み取ってしまうのは、読み手の性質の問題である。
それを突き付けられるのは非常に不快であり愉快でもある。
シーラッハ作品のそういった部分が最も魅力であり、もっと摂取したくなる中毒性を成す部分だと思っている。
特に、1ページで完結する短い物語にやられてしまうことが多い。私はとても意地の悪い捉え方をする人間だとあらためて自覚させられる。
まとめ
特になんの具体的な感想も記さなかった。あとで自分で読み返してみても、どういった作品だったか全くわからないような内容になってしまった。
シーラッハの文章を読む行為は快楽を伴う。
今回も存分に快楽を味わいながら読み進め、物語が一つまた一つ終わるたびに、ああ、もう終わってしまった、もっと読みたい、という気持ちになった。
これはとても幸せなことだ。人生の後半になっても、このような感覚を味わえることは思ってもみなかったし、ありがたいことだと思う。
作品を生んだシーラッハや日本語に翻訳された酒寄氏はもちろんのこと、作品にかかかったすべての人に感謝の気持ちを伝えたい。
著者・訳者について
フェルディナント・フォン・シーラッハ 1964年ドイツ、ミュンヘン生まれ。ナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの孫。1994年からベルリンで刑事事件弁護士として活躍する。デビュー作である『犯罪』(2009)が本国でクライスト賞、日本で2012年本屋大賞「翻訳小説部門」第1位を受賞した。その他の著書に『罪悪』(2010)、『コリーニ事件』(2011)、『カールの降誕祭(クリスマス)』(2012)、『禁忌』(2013)、『テロ』(2015)、『珈琲と煙草』(2019)、Nachmittage (2022)などがある。 http://www.schirach.de/ — 東京創元社より引用
酒寄進一 (サカヨリシンイチ ) ドイツ文学翻訳家。1958年生まれ。和光大学教授。主な訳書――2012年本屋大賞「翻訳小説部門」第1位のシーラッハ『犯罪』、2021年日本子どもの本研究会第5回作品賞特別賞を受賞したコルドン〈ベルリン三部作〉、ヘッセ『デーミアン』、ブレヒト『アルトゥロ・ウイの興隆/コーカサスの白墨の輪』、ケストナー『終戦日記一九四五』、ノイハウス〈刑事オリヴァー&ピア・シリーズ〉。 — 東京創元社より引用