neputa note

ETV特集『世界はことばで満ちている』 視聴メモ

初稿:

img of ETV特集『世界はことばで満ちている』 視聴メモ

ETV特集『世界はことばで満ちている』とは?

NHK Eテレで放送されたドキュメンタリー番組。

初回放送日NHK教育テレビジョン2025年6月14日(土)午後11:00 配信期限4月11日(土)午後11:59

ろうの写真家・齋藤陽道さん。手話で気持ちを通じ合わせる家族の日々と、写真家としての挑戦に密着したドキュメント。聞こえる子ども達は成長と共に「音声言語」が増え、齋藤さん夫婦は子どもとどう接するべきか、葛藤が増えている。そして、ろう者としてコミュニケーションに苦しんできた齋藤さんが写真家として挑むのは「“ことば”の意味を広げること」。齋藤陽道さんの独自の世界観を世に問う写真展までの日々を追う。 NHK 番組ページ より引用

印章に残ったことメモ

過去三度、この番組を見た。一度目は断片的に、二度目は後半から、三度目にしてようやく全編を通して見た。以下、印象に残ったことをメモしておく。

「ことば」とは?の質問

何気ない質問に思えた。

番組スタッフが「齋藤さんにとって”ことば”とは何ですか?」と質問するシーンがあった。

齋藤さんは、真剣な表情で考え込み、しばらくして紙に何かを書き始めたが、それもまとまらず丸めて捨ててしまった。

前にも同じような質問があったけれど いつも わかりません
逆になぜそこまで知りたいですか?
「世界はことば」 不思議に思えますか?
僕には当たり前すぎて どこから話せばいいか いつも わからない
「なぜ息できるのか」と言われたら 何と答えますか? — 番組41分06秒~ より引用

ハッとさせられた。

このような質問はメディアで何度も耳にしたことがあり、聞かれた側も、何か答えているようで何も答えていないような、とりあえず収まりがつく返しをして終わる場面のように思えた。

齋藤さんにとって、「ことば」は当たり前すぎると同時に、だからこそ大切なものとして存在しているのだろう。

2005年にケニオン大学で行われたアメリカの作家デヴィッド・フォスター・ウォレスによる卒業スピーチ「これは水です」を思い出した。

当たり前にあるものを意識し大切にすることの重要性はしばしば語られるが、実際にそれを体現している人は少ない。

齋藤さんは、その数少ない人の一人なのだと感じた。

息子の卒園式

齋藤さんご夫婦は手話話者で、子どもたちは手話話者であり、かつ耳が聞こえる口話者でもある。

卒園式では、園児一人ひとりが両親に感謝の言葉を伝えていた。

齋藤さんたちご夫婦は、手話で息子さんに伝えてほしいと思っていた。だが、息子さんはなかなか手話で伝えることができなかった。

家では手話でコミュニケーションを取っているが、園では周りの目が気になってしまうのだろう。

何とか小さな手話で両親に感謝を伝え、親子は強く抱き合った。

彼は両親のことが大好きであり、聡明で自分の考えを語ることができるのは、ここ以前のシーンからも伝わってきていた。

その彼が、手話を躊躇させるものは何か。それは、私たちだ。

耳が聞こえる私たちは、積極的に差別することはないかもしれないが、積極的に受け入れることもない。

無関心ともいえる状態が常態化していることは珍しくないのではないだろうか。

子供が複雑な思いを抱えてしまうことは自然なことであり、私たち社会の責任だと感じた。

写真シリーズ「神話」

齋藤さんが写真家として子供たちの歩みを9年かけて撮影したシリーズ。

番組は、このシリーズの写真展開催までの過程を追っていた。

何枚かの写真が紹介され、写真展では壁一面に大きく展示された作品もあった。

どれもが印象深く、子どもたちが自然と調和しキラキラと輝いている様子を「神話」と表現しているのも納得できるような、そんな写真だった。

ホームページでも一部の写真を見ることができる。

また、写真展に、視覚と聴覚の両方に障害を持つ盲ろう者の方が来場されていた。

齋藤さんとその来場者は、「触手話」という互いの手の動きや形を触って伝える手話でコミュニケーションを取っていた。

写真の大きさを一緒に歩きながら感じ、写真に写っている様子や感想を触手話で伝え合う。

その方が感じ頭の中に描いたイメージはどんなものだったのだろうか。

見ることも聞くことも当たり前に慣れきってしまった私とは、感動への渇望のようなものが大きく違うのではいか。

そんなことを考えさせられるシーンだった。

まとめ

活版印刷の発明からラジオやテレビそしてインターネットが登場するまで、人類は伝えることばの情報量をどんどん増やしてきた。

最近では、ことばが溢れすぎて、もはや何も伝えていないに等しいのではないか、と感じることもしばしば。

人類が言葉を扱い始めた数千年の歴史の中で、このような変化はここ数百年の出来事でしかない。

やがて、私たちは溢れ過ぎて意味を失った言葉に押しつぶされ、終いには言葉を失うのではないか。

「ことば」本来の存在を再認識しなおすとても貴重な体験だった。

また、今回のような「あたりまえ」を見つめ直す機会をこれからも大切にしていきたい。

参考リンク

目次