『三たびの海峡』 帚木蓬生 ~時代と運命に翻弄された壮絶な人生を描く~【読書感想・あらすじ】

2015/01/12

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三たびの海峡 装丁

『三たびの海峡』あらすじ

韓国・釜山で三店のスーパーマーケットを経営する実業家、河時根(ハーシグン。

彼は三たび、日本と韓国を隔てる海峡を渡る。

一度目は、太平洋戦争末期の十七歳の時、日本にある炭鉱の労働力として強制的に親元を離され、糞尿にまみれた列車と船で日本へ渡る。

二度目は、炭鉱での落盤、飢餓、管理者によるリンチなどの死線を生き延び、戦後、身ごもった日本人の伴侶と共に故郷へ。

そして、半世紀もの間、訣別していた過去と向き合うため、再び日本へと三度目の渡航を決意する。

読書感想

抗うことができない理不尽との戦い

主人公の人生に壮絶で過酷さを強いたすべてへの怒り、それゆえ強く光る幸福のシーンなど、一日に珈琲一杯飲む程度の私の体のどこに、こんな水分あったかと思うほど涙が絶えない作品だった。

物語に登場するのは、のちに権力の座につくものも一部あるが、いわゆる庶民である。

戦争は一部の人間から端を発し、多くの無関係の人間を巻き込み人生を狂わせる。

小説であるとはいえ、戦時下では、恐らく主人公のように個人の意志ではどうにもならない人生を歩まざるを得ない人が多くあったと想像すると呆然たる思いである。

せっかく手に入れた家族、そして別れ

炭鉱で何人もの仲間が死んでいき、生命の危険を感じた主人公は炭鉱を脱走する。

逃げた先で炭鉱へ連れ戻される恐怖に怯える日々の中、ひとりの日本人女性と恋に落ちる。

戦後、身ごもった妻と祖国へ帰るものの村八分の状態となり、村の離れで暮らす老人のもとで息子が生まれる。

日本にも祖国にも安心して生きていける場所がないとは、どういう心境であったか。貧しくともつつましい暮らしの中、ある日、妻と息子は彼女の親の手で日本へ連れ戻される。

その後も主人公の人生が描かれるのだが、あまり内容を語りすぎるのも良くない。

国家が引き裂く家族の絆

別れた息子と半世紀を経て日本に渡り再会する。

ここでの父と子のやりとりが物語を象徴する部分も含んでおり、激しく胸を突いた。

「連絡も何もしなくて、すまない」
私は畳に手をついて謝罪する。
「お父さん、連絡しようにも、韓国と日本の間は遠かったではありませんか。二つの国は地球上で一番離れていたのかもしれません」
――本書より引用

野心を燃やし権力を手にするのは構わない。

そう志向する人間はどれだけ歴史経ても必ず、いる。

しかし、無関係の人間を巻き込んで争うことは止めてほしいと心から思う。

壁を作って国を隔てたり、見えない線を引いて国を分けたり、せっかく国交が結ばれても互いを牽制し続けるそのもとで、多くの家族や愛する者同士の運命が狂うのだ。

戦争をしたい者は、勝手に互いに気が済むまで殴りあっておれば良いと真剣に思う。

戦争と暮らし

以前、NHKでイスラエルの街の上空をパレスチナに向けて軍用機が飛び、その下で街の人々はかわらぬ暮らしを続けている映像があった。

その街にはイスラエル人とパレスチナ人のカップルもいた。

政治に関わる人間達が望むことを望んでいない庶民の暮らしがそこには写っていた。

争いを望む愚か者達に引きずられる必要は無い。

主人公が再び日本の地を訪れ、美しい日本の景色を見つめ過去の悲劇を思い出す。

日本の自然は本当に美しい、私は心からそう感じる。

しかし、同じ風景を見ても悲しみしか感じない人がいることはこの上なく悲しい。

一庶民としてできることは限られるが、力を持った争いを好む人間達に流されること無く自分の意思を保ち、目の前の人の属性にこだわりを持たないことを心がけるぐらいのことはできる、しなければならない。

悲劇を被る者、悲劇を起こす者、帚木さんは彼らを正義と悪の二元論で描くことをしない。

だから複雑だ。その複雑なものを丁寧に描くから深みを感じる作品になるのか。

帚木さんは人間という生き物の深淵を良くわかっており、つい争う人間に対しカッとなり感想を綴る私とは違う。

故に毎作品、多くのことを学ばさせてもらっている。

いつまでも元気に作品を書き続けられることを願ってやまない。


映像化された「三たびの海峡」

本作品は監督が神山征二郎で、三國連太郎と南野陽子の出演で映像化されている。


著者について

帚木蓬生(ハハキギ・ホウセイ 1947(昭和22)年、福岡県生れ。東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退職し、九州大学医学部に学ぶ。現在は精神科医。1993(平成5)年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞を受賞。1995年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、1997年『逃亡』で柴田錬三郎賞、2010年『水神』で新田次郎文学賞を受賞した。2011年『ソルハ』で小学館児童出版文化賞を受賞。2012年『蠅の帝国―軍医たちの黙示録―』『蛍の航跡―軍医たちの黙示録―』の2部作で日本医療小説大賞を受賞する。『臓器農場』『ヒトラーの防具』『安楽病棟』『国銅』『空山』『アフリカの蹄』『エンブリオ』『千日紅の恋人』『受命』『聖灰の暗号』『インターセックス』『風花病棟』『日御子』『移された顔』など著作多数。
――本書より引用

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