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『百年前の山を旅する』 服部文祥 【あらすじ・感想】

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あらすじ

「鯖街道」と呼ばれる若狭から京都へと続く山道。担ぎ屋は灯りも持たず一昼夜で駆け抜けたという。著者は現在のルートより短距離で一直線だが、はるかに急峻な古道を探し、テントも燃料も持たず、草鞋を履きその道をたどる。現代の山行はテクノロジーの進化で、自然と闘い、溶け込む、本来の行為から遠くなった。奥多摩、北アルプス、奥秩父――登山の原点を見つめたサバイバル紀行。 — 本書より引用

読書感想

登山道具店に行くといつもモヤモヤとした気持ちになる。必要な道具が買い求めるためお店の方に色々と説明を請うのだが、話を聞けば聞くほどにそのモヤモヤとした気持ちは膨らんでいく。

山に出かけるにあたり、最低限命を守るための道具には一定金額を要する。しかしそれ以上のものとなると何が違うかと言えば快適さの向上という形での付加機能がどこまで高いレベルで備わっているかとなる。そして登山道具はそちらの方向に日進月歩進化しているようである。

「この製品は高機能なものですよ」と言われると、天邪鬼の私は「その機能の分だけ自然界から遠ざかることができる」と聞こえてしまう。山に登る行為自体がそもそも快適さから程遠いものであり、好き好んでそんな行為に及ぶのだから快適さに高額なお金を払って身を包む矛盾にモヤモヤとしてしまうのだ。

本書の著者である服部文祥氏はそんな私の戸惑いにひとつの答えを与えてくれる。

以前読んだ『サバイバル登山家』では、さまざまな過酷な山行記録を紹介するとともに「生命体としてなまなましく生きたい」という思いや「山で住まうもの、山そのものに対してフェアでありたい」という彼独自の山との向き合い方が伝わっていくる一冊であった。

『サバイバル登山家』 服部文祥 【読書感想・あらすじ】

サバイバル登山家 (服部文祥)のあらすじと感想。「生きようとする自分を経験すること、僕の登山のオリジナルは今でもそこにある」ハットリ・ブンショウ。36歳。サバイバル登山家。フリークライミング、沢登り、山スキー、アルパインクライミングからヒマラヤの高所登山まで、オールラウンドに登山を

それらの行為は著者が言うところの「テクノロジー」をここ百年ほどの間に人間が用いるようになる以前においては至極あたり前のことであり、言い方を変えれば我々が失ってきたものとも言える。

より原始生命の息吹を感じようとする、本能的な部分に近づこうとすればおのずと古代の人々に思いを馳せるようになった氏の行為はとても自然なことに感じる。

都市で暮らし山岳雑誌の編集者というサラリーマンとしての営みの一方で、自力で時間を百年、あるいはそれ以上巻き戻して山に入るという試みそれ自体に私は驚愕する。

本書には、そのことを思いつくだけでなく、実際に行った者だけが感じることができる、貴重な言葉が記されている。氏が踏破したことで、現代の人間にとって不要となり色褪せていく過去が明らかになっていく話や、郷土史的に価値ある山行でもあるように思う。

また、本文の山行記録やあとがきなどで著者は書くことにおいても激しく挑戦をしている。

実践を通して掴んだこと、掴みかけていることを読み手にとって分かりやすいものとして提示できるよう葛藤している様子が伝わってくる。

その葛藤の様子は、言い方を変えればまだ氏の取り組みは未完であることの表れであるとも言える。と同時にまだ服部文祥の挑戦は続くのだという楽しみが膨らむ。

それにしても表紙の著者の姿であるが、モノクロ写真であれば百年前のものだと言われても気づかないほどに馴染んでいる。本当に自然そのものの山が似合う方だ。

著者について

1969(昭和44)年神奈川県生れ。学生時代はワンダーフォーゲル部所属。‘96(平成8)年から山岳雑誌「岳人」編集部に参加。K2登頂など、オールラウンドな登山を経験したあと、装備を切り詰め食料を現地調達するサバイバル登山をはじめる。それらの山行記に、『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』『サバイバル!』などがある。 — 本書より引用

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