【日記】銃と民主主義

ショックの大きい日だった。
安倍元首相 死因は1発の銃弾による失血死 | NHK | 安倍元首相 銃撃
【NHK】奈良市で演説をしていた安倍元総理大臣が銃で撃たれて殺害された事件で、司法解剖の結果、死因は1発の銃弾が左右の鎖骨の下の動…
この安倍元首相という人物に対し尊敬や惜しまれる思いなどは無い。
むしろ、私が信じる民衆主義、法システムを戦後最も破壊した首相であり、一日も早く政界から退場してほしいと願う人物であった。
だが、ひとりの人間が亡くなってしまうことは大変な悲劇であり、ましてや暴力によるものとなればこれほど痛ましいことはない。
心よりご冥福をお祈り申し上げる次第。
何が「ショック」だったのか。
ショックだったのは、「銃」である。
まず世界の安全な国ランキング上位に入るこの国で市民による銃撃事件が起きたこと。
銃というものは、瞬時にして生命を奪う以外にその存在理由を持たない。
そのことを強く認識したのはかつて読んだ中村文則の『銃』である。
『銃』 中村文則 【読書感想・あらすじ】 | neputa note
銃 中村文則 あらすじと感想。雨が降りしきる河原で大学生の西川が出会った動かないくなっていた男、そのの傍らに落ちていた黒い物体。圧倒的な美しさと存在感を持つ「銃」に魅せられた彼はやがて、「私はいつ
暴力団や警察官による発砲は近年でも起きているが、(まだ断定されているわけではないが)一般市民とされる人物による銃撃事件が起きたことの衝撃は大きい。
続いて、民主主義が物理的な暴力に晒されたこと。
犯人の思想や動機はわからないが、起きたことの結果を外形的にとらえれば、
「銃」が民衆主義の象徴ともいえる「選挙」期間中に選挙活動に参加していた人物を撃ち殺した、
というものだ。
民主主義が暴力にさらされることは起こりうる。
日本に民主主義をもたらした国「アメリカ」においても、先の大統領選挙の結果を覆そうとホワイトハウスが襲撃を受けたことは記憶に新しい。
私は民主主義を信じている。
悪意の人物が権力を握った場合、民衆の力によってリーダーを代えることができるシステムは、人類が生み出した政治システムのおいて完全ではないものの今のところ最も優れていると思うからだ。
独裁政治体制ではそうはいかない。
昨今の日本においては権力の側が権力を持ってして民主主義を破壊することが繰り返されていた。
私は、これは法のもとに集う民衆に対するある種の「暴力」であると認識している。
だが、選挙というシステムが機能する限り、これは行きつくところまで行けばいずれ是正されるものと信じている。
だが、今回その選挙の場に「銃」という物理的な暴力が登場した。
民主主義の国家において、暴力は権力の側の専権事項である。
その構図を逆転するこの出来事は、権力をはげしく刺激するだろう。
この刺激に対する反応がどういうものとなるのか、私は不安でならない。
日本という国で暮らす人々は私も含めどんなコトも風化させる能力に長けている、と思っている。
良くも悪くも。
悪い方を見ると、その忘却の力は出来事を執念深く忘れない者たちにとって利用されてしまうのではないかという懸念だ。
もうひとつ、犯人に対して。
裁判が行われるまでは分からないが、単身で大きな事件を引き起こしたことは事実だ。
かつてオウムに集った若者たち、秋葉原の駅前、相模原障碍者施設で殺りくに及んだ犯人。
対象が特定人物か無差別であったかは異なる。
また動機や経緯もまた異なるだろう。
だがいずれも暴力に行き着いてしまった者たちだ。
人知れず堕ちていく者たちに対し我々はあまりに冷たい。
自分がそちら側に堕ちてしまう可能性に対する想像力に乏しい。
「異常なもの」として遠ざけて見えないモノにしてしまうのだ。
ほんの少しでも想像し共感することができれば、暴力に行き着く者を救い出せはしないものかと思うのだが、みな誰よりも忙しく余裕などない。
また自由競争を奨励する社会は脱落するものと向き合うメリットが薄いのだろう。
堕落しようが暴力に堕ちようが知ったことではない。
ヒドイ日だった。
そして私はきっとすぐに忘れてしまうのだろう。
だが、選挙だけは何があっても何が起きても行こう。
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