【日記】最近のこと―1月31日
初稿:

最近は凪いだ日々が続いている。とはいえ、周囲のことや脳内を見渡せば、いろいろと考えさせられることも多い。
メモ代わりに、最近の出来事をいくつか記録しておく。
黄金頭さん
最近、もっとも気にかかっているのは、
購読しているブログの書き手であり、以前一度、直接お会いしたこともある黄金頭さん。
昨年に希少がんの手術を受けられ無事成功したものの、その後の経過でさまざまな困難に直面されている様子がブログで綴られている。
横浜市中区の底辺労働者の日記でございます。
通院のたびに局面が変わり、精神的にも肉体的にもつらい様子が伝わってくる。
比べるべくもないが、私も失明リスクを抱え検査のたびに一喜一憂を繰り返している身として、ジェットコースターのように乱高下するその状況は痛いほど理解できる。
神も宗教も縁が無く生きてきたが、この頃は少しでも良い方向に向かうよう祈らずにはいられない。
選挙のこと
選挙は必ず足を運び投票する。世界は1人1人の思いの集積で成り立っていると信じているからだ。
今回も、比較的空いている期日前投票を利用する予定だ。
比例はその時々によって判断し投票している。
個人は女性候補者に投票すると決めている。いない場合はその都度考える。
議会や企業の経営ボードの壮年男性比率を下げれば、社会のほとんどの問題は解決すると考えている。
SNSのこと
青い鳥がいなくなったタイミングでTwitterをやめた。
代わりにMastodonとBlueskyのアカウントを作成したが、私にはそもそもSNSを使う目的がないことに気づく機会となってしまった。
SNSは民俗学的資料としてブログと並び素晴らしい記録媒体だと思っている。サービス終了というリスクはあるが。
ネット社会以前、歴史は組織や権力者が残した記録でしかなく、圧倒的多数の庶民の歴史を知ることは難しい。
いまは人類史で初めて、多くの人々の言動・行動が公に発信されている時代だ。
そういった意味で、メッセージ性は無くとも、この時代を生きた個人の記録として何かを残しておきたい気持ちはある。
だが、SNSはあまりに過渡期過ぎて無理だ。オンラインであろうとパブリックである意識が醸成されるまでは距離を置くことにした。
このブログで自由に書き続けることにする。
視覚障害予備軍
これは私自身のこと。詳しいことは他の記事で書いている。
意識的に行動範囲を狭めているため、特別支障を感じることは少ない。あるとすれば、日常のごくごく些細なこと。
視野の中心は問題ないので文字を見るのは苦にならないが、もう少し大きな形あるものを見るのが難しい。
例えば、目の前にあるコップや皿をつかむといった場合だ。
もっと真剣に技術的なことを身に着ける必要があるのかもしれないが、とりあえずイチかバチかで済ませている。つまり、ひっくり返したりこぼしたりしながら、やれやれと思いながらやり過ごすといった具合だ。
最近は、目が見えなくなることは案外わるくないどころか、むしろ良いのかもしれないとさえ思うようになってきた。
ガワをいくらでもハックできる時代だ。
- 雰囲気は良いレストランだが、料理が良いとは限らない
- 優しそうに見える人だが実際にやさしいとは限らない。
- グラフの傾斜は急激だが、劇的な成長とは限らない
などなど
視覚から入る情報は何も受け取っていないに等しいとすら感じることもある。
見えても見えなくても変わらない。最近はそんな心境にたどり着きつつある。