『月と六ペンス』 サマセット・モーム著【読書感想・あらすじ】

2017/08/26

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あらすじ

ある夕食会で出会った、冴えない男ストリックランド。ロンドンで、仕事、家庭と何不自由ない暮らしを送っていた彼がある日、忽然と行方をくらませたという。パリで再会した彼の口から真相を聞いたとき、私は耳を疑った。四十を過ぎた男が、すべてを捨てて挑んだことは――。ある天才画家の情熱の生涯を描き、正気と狂気が混在する人間の本質に迫る、歴史的大ベストセラーの新訳。
――本書より引用

読書感想

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月と六ペンスの読みどころ

  • 100年前の英国におけるベストセラーだが古めかしさを感じさせない普遍的な作品テーマとごく身近な物語に感じさせる人物描写、翻訳の力が光る逸品。
  • 英国での安定した暮らしと家族を捨て絵を描くためにフランス、タヒチを渡り歩いた天才画家の人生を辿る物語。
  • 社会が作り出す理性や合理性に基づいたルール・価値観とその身に矛盾を併せもつ人間との関係性を一人の画家の人生を通じ力強くそして美しい文章で描き出している。

普遍的テーマを描いた100年前のベストセラー作品

冒頭、チャールズ・ストリックランドという名作を残した画家に関する話題で物語は幕を開く。

この物語の語り手である作家の男は英国における文化人や芸術家たちの社交場でストリックランドの妻と知り合う。

この頃のストリックランドは株の仲買人として働き、妻とのつつましい暮らしを送っていた。

この時点での彼からはその後、強い意志をもって情熱あふれる人生を貫き、偉大な画家となる予感などは微塵も感じない。

そしてその始まりは突然に訪れる。

ストリックランドは何も語らず妻を捨て仕事を捨てパリへと消えてしまう。

この理不尽で身勝手な振る舞いになにを思うか。

多くの人は義憤に駆られ彼を断罪する言葉を放つのではないか。

私自身も当然のようにそのような想いを胸に抱いた。

そして語り部である作家も同様な思いを胸にパリを訪れ、ストリックランドの真意を確かめようと試みる。

社会の一員であることを自覚する人間は、規範に縛られない人間が相手では、どうしようもないことを知っている。ストリックランドのような、自分の振る舞いがどれほど非難されようと気にしない人間を目の当たりにしたとき、わたしは息をのんで後ずさるしかなかった。ちょうど、人の皮をかぶった化け物でもみたかのように。
――本書より引用

作家が目にしたストリックランドはおよそどのような常識や良識も通用しない人物となっていた。

だがしかしそれは彼の本来の姿のようにも感じられる。

多くの人にとって理解しがたい存在という人物はいつの時代にも存在する。

だがそのような人物はいったいどのような思考をしているのか。

どのように世界を感じ生きているのか。

またむこうから見る我々の世界とはどのようなものとして捉えられているか。

狭量と気高さ、悪意と慈悲、憎悪と愛、それらはみな、ひとりの人間の心の中に共存している
――本書より引用

この作品はチャールズ・ストリックランドという理解しがたい天才的な画家の人生と、彼を取り巻いた世界を美しい文章で描くことにより、単純さと複雑さ、理性と非合理性を併せ持つわれわれ人間という存在について考えさせてくれる。

作品の特徴について

この作品は、ある作家がチャールズ・ストリックランドという天才画家の一生を調べまとめあげたものを我々に読ませる、といった構成になっている。

そして素晴らしい話の展開と美しくそしてユーモアも含む美しい文章が、100年という時の壁を取り払い、読み手をぐいぐいと作品の中へと引き込んでいく。

ストリックランドがパリへと失踪するあたりで、すっかり私の頭の中では作中の作家がサマセット・モームとなり、チャールズ・ストリックランドは実在の画家となる。

物語の後半ではいくつかストリックランドの絵が描写される。

私はその絵が見たくて見たくてたまらなくなった。

ストリックランドはポール・ゴーギャンをモデルとしているようだが、この作品に触れているあいだ私にとってチャールズ・ストリックランドは実在するはずの画家であり、読み終えたらどこのどんな場所であってもその絵を見に行こうと強い気持ちで考えていた。

先日「フィクションはノンフィクションを凌駕する」というテーマで駄文を綴ったが、この「月と六ペンス」は私にとってまさに当てはまる作品だった。

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月と六ペンスを知るきっかけ

この作品名に似た「本と6ペンス」というブログがある。

本と6ペンス 265.月と六ペンス (サマセット・モーム)

The writer should seek his reward in the pleasure of his work. ("The Moon and Sixpence" Somerset Mau

そして、私はこちらのブログのファンであり、いつも楽しみに記事を読んでいた。

ファンとなった理由は文章とその内容が好きであったことはもちろんであるが、それ以外にもいくつか理由があった。

ひとつはいくつかの共通点を発見したことで、それは読書ブログを始めた理由と英国での生活経験があること。

ふたつ目の理由は、個人的な想像による思い入れとなるかもしれないが、このブログ全体を、大学生という短い期間を駆け抜けた若者の人生が詰まった、ひとつの作品のように感じていたことだ。

おそらくは学生生活が終わったのであろう時期と同じくブログの更新は止まってしまった。いずれの機会に月と六ペンスをいつか読もうとメモを記し、ようやく経ってこのたび手にした次第である。

以下の作品でもそうだったが、私は本と実際に出会うまでに2つか3つのキッカケを必要とする面倒な人間であり、今作もまた時間を要してしまった。

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読み終えたいま、読むキッカケをいただいたことへの感謝の気持ちと共に、いまでも本と6ペンスの方は素晴らしい本と出会い元気に過ごしているだろうかと思いをめぐらせている。


印象的だった箇所の引用

良心とは個人の内部に置かれた法の番人だ ~ ページの終わりまで。

――P89 このページ丸ごと一編の詩のようだ
ストリックランドは夢の中に生きていた。現実に起こることは、どうでもよかったのだ。強烈な個性のすべてをキャンバスにぶつけ、ほかのことは眼中にない。ただ、心の目に映る物を捕えようと必死になっていた。
――P130 作家による考察
「過去などどうでもいい。大事なのは、永遠に続く現在だけだ」
――P133 ストリックランドのセリフ
世界は無情で残酷だ。なぜここにいるのか、どこへむかっているのか、それを知る者はひとりもいない。僕たちは心から謙虚になって、静けさのもたらす美に目を向けなくてはならない。足音を忍ばせて、人生を生きなければならないんだ。
――P223 ストルーヴェのセリフ
もしかすると作家は、悪党を書くことによって根深い本能を満足させているのかもしれない。
――P241 作家による考察
生まれる場所を間違えた人々がいる。彼らは生まれたところで暮らしてはいるが、いつも見たことのない故郷を懐かしむ。生まれた土地にいながら異邦人なのだ。
――P305 作家による考察
人はなりたい姿になれるわけではなく、なるべき姿になるのだ
――P330 作家によるストリックランドという存在に関する考察

著者について

サマセット・モーム
William Somerset Maugham
(1874ー1965)
イギリスの小説家・劇作家。フランスのパリに生まれるが、幼くして両親を亡くし、南イングランドの叔父のもとで育つ。ドイツのハイデンベルク大学、ロンドンの聖トマス病院付属医学校で学ぶ。医療助手の経験を描いた小説『ランベスのライザ』(1897)が注目され、作家生活に入る。1919年に発表した『月と六ペンス』は空前のベストセラーとなった代表作である。
――本書より引用

訳者について

訳者 金原瑞人 Kanehara Mizuhito
1954(昭和29)年岡山県生れ。翻訳家、英文学者。法政大学社会学部教授。エッセイ『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『サリンジャーに、マティーニを教わった』のほか、『武器よさらば』(ヘミングウェイ)『青空のむこう』(アレックス・シアラー)『ヘヴンアイズ』(デイヴィッド・アーモンド)『マンデー・モーニング』(サンジェイ・グブタ) など訳者多数。
――本書より引用

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