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『水神』帚木蓬生~江戸時代の農民たちによる大河小説~【あらすじ・感想】

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あらすじ

目の前を悠然と流れる筑後川。だが台地に住む百姓の元へその恵みは届かず、人力で愚直に汲み続けるしかない。助左衛門は歳月をかけて地形を足で確かめながら、この大河を堰止め、稲田の渇水に苦しむ村へ水を分配する大工事を構想した。その案に、類似した事情を抱える四ヵ村の庄屋たちも同心する。彼ら五庄屋の悲願は、久留米藩と周囲の村々に容れられるのか――。新田次郎文学賞受賞作。 — 本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 江戸時代初頭の農村を舞台に、渇水に苦しむ百姓たちが村に水を引き込む大事業を成し遂げる歴史ドラマ作品。
  • 福岡出身の著者が地元に伝わる話をもとに紡ぎ上げた作品であり、美しい自然や力強く生きる人びとの描写には地元に対する著者の大きな愛を感じる。
  • 400年前にこの国で暮らしていた先人たちから「生きるとはどういうことか」を教えられる、学びの多い作品。

歴史小説とは?

便利で快適な現代の暮らしは突然降って湧いてきたものではない。すべては先人たちが積み上げてきた英知の上に成り立っている。

この作品は江戸時代初頭、河に堰をつくり村中に水を引き込んだ村人たちのドラマを描いている。そこには美しくも厳しい自然の姿や、力強く生きる農村の人びとの姿がある。

「歴史小説」と言えば、大名や侍がワチャワチャするものというイメージがあった。しかしかつてこの国の大部分を占め、国を支えていたのは百姓である。であれば百姓を書かずして何が歴史小説か、百姓を全面に押し出してこそ「真の歴史小説」ではないか。

そういった意味で、この作品は「真の歴史小説」と言えよう。

物語の概要と登場人物

江戸時代初頭、久留米藩の江南原(えなみばる)という村の物語である。筑後川という大河が目の前を流れるにもかかわらず、台地に位置するため村人たちは稲田の渇水に苦しんでいた。顔を洗う洗濯をするのは河まで行けば済む話だが、稲を育てるには大量の水が必要となる。

この時代は村ごとに納める年貢米が決まっており、足りなければ他村から借り利息を付けて返さなければならない。そして自分たちは食べるものがなく、常に腹が減っており、「口減らし」のような悲しい出来事も頻繁にあったようだ。

江南原では「打桶」という人力によって水田に水を流し込んでいた。

両端に長い綱のついた木桶を土手の上から川面に投げ落として、二人して引っ張り上げ、土手の反対側に流すというもの。

打桶を受け持った百姓は、それば一生続けるらしかですしかし人力では限界がある。こんなやり方は自分の代で終わらせなければ、と立ち上がった男がいた。筑後川に堰を作り、村中に水を引き込もう。途方もない話のようだが、この夢に向かってみんなが動きだす。

登場人物

  • 山下助左衛門…筑後川に堰を作る計画を構想した発起人。元助たちの村の庄屋。
  • 本松平右衛門…五庄屋のひとり。
  • 猪山作之丞……五庄屋のひとり。
  • 重富平左衛門…五庄屋のひとり。
  • 栗林次兵衛……五庄屋のひとり。助左衛門の娘の旦那。
  • 田代又左衛門…五庄屋の上の立場となる大庄屋。
  • 菊竹源三衛門…侍の立場でありながら筑後川の計画のために命をかける。
  • 元助…打桶を担う百姓。右足に障害を持つが泳ぎが得意。
  • 伊八…元助の先輩。打桶40年のベテラン。
  • 長吉…助左衛門の元で下働きをする。牛のツチとは以心伝心。
  • さき…元助と恋の予感。..。
  • 権……元助になつくワンコ。登場するたびに和む。
  • ツチ…筑後川の堰の要となる大岩を運びあげる。魅せる農耕牛。

水の重要性、郷土史としての一面

「オイッサ、エットナ」という元助と伊八の掛け声は、物語の至るところで登場する。土手の上で、来る日も河から水をすくい上げる彼らの姿はこの作品の象徴でもある。

打桶|筑後市公式ホームページ

今の時代、水は蛇口をひねればいくらでも出てくるが、この時代における水の苦労というのは計り知れないものがある。

どんなに草を刈り込んで入れ、厩肥と下肥を施しても、肝心な水が足りなければ功を奏さない。水が、百姓が注いだ全ての労力に、命を吹き込むといってよかった。

この作品は、当時の人びとが自然をいかに活用し暮らしていたか、どのような制度のもと社会が形作られていたか、物語を読み進めながら自然と理解できるよう構成されている。優れた郷土史としての一面でもある。

物語のハイライト

助左衛門を中心とした五庄屋の嘆願書が奉行に受け入れられる場面、反目していた村々が共に工事に励む場面、ついに村へ水がやってくる場面など、胸の熱くなる場面がてんこ盛りの本作であるが、個人的な一番のハイライトは文庫版で20ページにもなる菊竹源三衛門による嘆願書だ。この魂の嘆願書で私の涙腺は決壊した。

読んでいるとよくわかるが、この時代における身分間の距離というのはかなり遠く、百姓と奉行では天地の開きがあるように感じられる。ネタバレるので経緯と内容は割愛するが、このような背景のなか、源三衛門という男は身分を超えた、一人の人間としての生き様を見せてくれる。彼こそが「水神」なのだ。

帚木作品のススメ

歴史の教科書などにはまず登場しない名もなき人びとに光を当て、鮮やかに作品として浮かび上がらせる著者の力量に感服する。同著者の作品では「国銅」も、奈良時代の銅を扱う末端の職人に焦点を当てた素晴らしい作品だ。

また著者は現役の精神科医でもあり医療にまつわる作品も多く書いている。いずれの作品でも共通しているのは、著者によるすべての人間に対するやさしい眼差しである。

個人的に帚木氏は現代作家の中でもっとも好きな作家であり、ひとりでも多くの人に彼の作品との出会いがあればいいなと、ひそかに願っていたりする。

今回もまた、彼の優しく美しい文章に心が癒やされた。

著者について

帚木蓬生 Hahakigi Hosei
1947(昭和22)年、福岡県生れ。東京大学仏文科卒業後、TBSに勤務。2年で退職し、九州大学医学部に学び、現在は精神科医。‘93(平成5)年『三たびの海峡』で吉川英治文学新人賞を受賞。‘95年『閉鎖病棟』で山本周五郎賞、‘97年『逃亡』で柴田錬三郎賞、2010年『水神』で新田次郎文学賞を受賞した。‘11年『ソルハ』で小学館児童出版文化賞を受賞する。他に『臓器農場』『ヒトラーの防具』『安楽病棟』『国銅』『空山』『アフリカの蹄』『エンブリオ』『千日紅の恋人』『受名』『聖杯の暗号』『インターセックス』『風化病棟』『水神』『蝿の帝国』『蛍の航跡』など著作多数。 — 本書より引用

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