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【読書感想】 その犬の歩むところ ボストン・テラン

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あらすじ

ギヴ。それがその犬の名だ。彼は檻を食い破り、傷だらけで、たったひとり山道を歩いていた。彼はどこから来たのか。何を見てきたのか……。この世界の罪と悲しみに立ち向かった男たち女たちと、そこに静かに寄り添っていた気高い犬の物語。『音もなく少女は』『神は銃弾』の名匠が犬への愛をこめて描く唯一無二の長編小説。
――本書より引用

読書感想

読みどころ

  • 現代のアメリカを舞台に壮絶な旅を続けてきた犬、そして彼と関わりを持った人間たちの物語。
  • 美しくそして力強い表現の数々は、この旅物語を深みのある文学作品へと昇華させている。
  • わたしたち人間が歩んできた歴史には常に犬の存在があり、過ちを繰り返すわたしたちは、たびたび犬たちから学ばなければならないと、大きな気づきをもたらしてくれる作品。

美しいアメリカ文学

現代のアメリカを舞台にタイトルのとおり、「GIV(ギヴ)」という名の犬がたどった長い旅の話。そして犬と人間の関係性を綴った物語でもある。

アフリカからローマまで、エジプトからアジアまで。人のいるところには必ず犬がいた。一方の足跡のあるところには、必ずもう一方の足跡があった。犬というのはわれわれの生ける意識の一部であり、われわれの永遠の良心の核だ。
――本書より引用

物語の語り手は「ディーン・ヒコック」というイラク帰りの元アメリカ海兵隊員。彼が表現する言葉たちはとても詩的で美しい。

例えば、この物語の大切な登場人物のひとり「アンナ」と老犬ギブの出会いのシーン。彼らが初めて対面し、距離を詰めるまでのわずかな時間はこのように描写される。

彼女はもう一方の手のひらにいくらか食べ物をのせて差し出した。その犬が空気のにおいを嗅いで第一歩を踏み出すあいだ、彼女の手の指のあいだから雨のしずくが垂れた。犬がそれまで立っていた水たまりが揺れ、その水面に映っていたネオンの宇宙が壊れ、またゆっくりともとどおりになったときには、その犬の濡れた鼻づらがひんやりとして柔らかい彼女の手のひらに押しつけられていた。
――本書より引用

互いにもう若くない。初対面の相手を前に警戒を解くには犬は十分過ぎるほど傷ついている。その微妙な二人の距離が詰まるまでの時間を、水たまりで表現している場面だ。

思わずため息が出てしまう。かような表現で綴られたギヴの旅物語とはいかなるものか。

※ここからはネタバレを含みます。

物語のあらすじ〜壮絶きわまるギヴの足跡

老犬ギヴは閉じ込められた檻を食い破り、痩せこけた体を引きずりアンナが経営するモーテルへとたどり着いた。アンナは多くの犬たちを受け入れ共に暮らしてきた人物であり、ギヴもほどなくアンナの家族の一員となる。

ギヴは「エンジェル」という犬とのあいだに子をもうけた。そして誇らしき一頭の犬としての一生を終える。
生まれてきた子は父親と同じ「ギヴ」の名がつけられた。父の不屈の魂を受け継いだこの子犬は、親同様の壮絶な人生ならぬ犬生を送ることになる。

アンナのモーテルに泊まったミュージシャンの兄弟によりギヴは誘拐され遠くの町へと連れ去られてしまう。兄弟のうち、弟の方が出会ったタトゥーアーティストの少女の家へと迎え入れられたギヴは、そこでアメリカ南東部を襲ったハリケーン「カトリーナ」に見舞われる。

二度も安寧の家を奪われたギヴは行方知れずとなる。

ディーン・ヒコックは9.11で姉を失いイラク戦争参加に志願した。戦場は苛烈であり、攻撃を受けた彼は戦友を失い自身も怪我を追って帰国した。自殺を頭によぎらせながら車を走らせていた夜、彼は傷ついた犬の姿を目撃する。痩せこけ傷だらけのギヴと、ディーンは出会った。この出会いこそが、この物語が生まれるキッカケとなる。

ディーンは偶然にもギヴのそれまでの足跡をたどることになる。その旅は大きな運命を感じさせるものである。しかし彼らは再び大きな試練に見舞われることになり、この長い旅は大いなる悲しみと共に最後の運命を呼び寄せ終わりを告げる。

「ギヴこそ旅そのものだった」

ギヴの父親はアンナのモーテルの敷地にある「パロベルデ」の木のもとに眠っている。ギヴもまたそこに帰っていくのだろう。

ディーンは「ギヴこそ旅そのものだった」と述べる。ギヴという存在からは、物理的に移動する旅にとどまらない、悠久の時の流れや宇宙の広がりのような「無限なるもの」を感じる。

ヒトという種の暗い側面。犬はそのにおいを世界のはじまりのときから知っている。最初の血が流されたときにその場にいたのだから。彼らは人間の最後の血が流れるときにもその場に居合わせることだろう。
――本書より引用

わたしたちは繰り返し間違える。過ちを犯してきた。ギヴの祖先たちもまたギヴと同じように、常に人の傍らにたたずみそのさまを見つめてきたのだろう。

犬というのは善意と愛を理解する生きものだ。だから人間にそれを求める。善意も愛も純粋な感情であり、創造の荘厳な産物だからだ。さらに善意と愛は消え果てたいくつもの魂を生き返らせる無限の夢だからだ。
――本書より引用

そしてわたしたちが間違えるたびに、彼らは彼らがもつ善良なるものを、その身を持って教えてくれるのだ。

言葉は人類に数多くの文明をもたらす助けとなったが、一方で事物を複雑化し、本来シンプルに伝わるはずのものが伝わりづらくなる要因にもなっているように感じる。

昨今、不寛容な振る舞いを世界的に蔓延させているわたしたちは、いまいちど彼らに学ぶ必要があるのかもしれない。

物言わずとも愛を伝えることができるギヴたちに。


著者について

ボストン・テラン Boston Teran
アメリカ、サウスブロンクスのイタリア系一家に生まれ育つ。1999年、『神は銃弾』でデビュー、イギリス推理作家協会新人賞を受賞、「このミステリーがすごい!」第1位、日本冒険小説協会大賞の3冠に輝く。第4長編『音もなく少女は』は「このミステリーがすごい!」第2位となる。他の邦訳作品に、『死者を侮るなかれ』『狂気の貴公子』『暴力の教義』がある。
――本書より引用

訳者について

田口俊樹(たぐち・としき)
1950(昭和25)年、奈良市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。英米文学翻訳家。主な訳書に、ボストン・テラン『神は銃弾』『音もなく少女は』、ロジャー・ホッブズ『ゴーストマン 時限紙幣』(以上、文春文庫)、トム・ロブ・スミス『偽りの楽園』、ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(ともに新潮文庫)、ロアルド・ダール『飛行士たちの話』(ハヤカワ・ミス文庫)ほか。
――本書より引用

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