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嫉妬の後の行動に人の本質を見る【日記】

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Photo by:Warren Wong on Unsplash

これは他人に対する感情の話しだ。

私は好き嫌いが激しい。
というか、ある特定の行動を激しく嫌う。

それは、「嫉妬の後の行動」だ。

人は嫉妬する。私もする。あなたもする。誰しもがする。
と、思う。

嫉妬の対象は幅広いが、その根っこは「自分が得ていないものを他者が得ていること」ではなかろうか。

自分が手に入れたい、成し遂げたいと願っているが叶わない状況というのは、かなりモヤモヤする。

ネガティブな思考に陥りやすい。

そんな状況下では、既にそれらを得た他者が妬ましく思えてしまう。

大なり小なり誰もが経験するのではないか。

で話しはそのあと「どうするか」ということだ。

「うらやましいっ!キーーーッ!!」のあと、あなたは何を思うか、どう行動を起こすか。

大雑把に分けると、この妬ましい状況の原因がどこにあるかで別れると思う。

それは、
「原因は自分の内側にある」
あるいは、
「原因は自分の外側にある」
と思うかどうかが最初の分岐点だと思うのだ。

そして私が激しく嫌う「嫉妬の後の行動」というのは、つまり後者の「原因は自分の外側にある」と考えから始まる一連のそれだ。

初手で、問題の原因を真っ先に自分の外側に探し始める方々。

このようなタイプは、私の暴論極論独断的分析によると、概ね他者の失敗を引き起こすことにエネルギーを全振りする。

簡単に言えば、「対象の相手が失敗するように頑張る」だ。

悪い噂を流し私の淡い恋愛を木っ端みじんにしたかつての親友。

会議中にずっと黙っていると思ったら、どこに問題をなすり付けるかを考え「これはイケる」と呟き意気揚々と語りだすかつての上司たち。

お前だお前らだぞ。

こんなんいくらでもあるでしょう。

こういうのが、もう反吐が出るほど嫌いなんすよ。

世界は競争に満ちている。スポーツ、恋愛、就職、出世競争、ショッピング何でもそうだ。

平等を宣言されているはずの人類は、常に上か下かの競争に晒される。

そこで、エネルギーの注ぎどころが「足を引っ張る」というのが、ひっじょうにダメなんす。

反対に、問題の原因を常に「自分の内側」に見出すタイプの人は大好きになり尊敬しあこがれる方が多い。

こちらは簡単に言うと、「クッソーーーーーーーッ!!」と思ったら自分を磨く。
自分磨きにエネルギーを全振りするのだ。

新たに人と知り合ったり、興味を持つと、まずはその辺りを観察してしまう。

ずっとぼんやり感じていたことで、無意識にそのように考えていたとは思う。

「そういうお前はどうなんだ?えっ?」

私は毎日死神が見えるほど長年自己否定を繰り返してきたのをようやく抜け出すことができたような有様だ。

だから身勝手にふるまう方々をひどく嫌う一方で、どこか羨ましいと思う気持ちもあったのかなと今になってみると思ったりする。

それがようやく40代半ばにして拙くはあるが自覚し言語化できるようになったので、書き散らしてみた次第。

同じポイントでなくても、人の性質で異常にこだわってしまうところあったりしませんかね。

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